やわらかくて、心豊かになるものづくりがある工場。伝統の吊り編み機「和田メリヤス」

 

和歌山県には日本国内でも、いや世界でも希少となった機械を使い続けている 工場があります。ものづくりに真摯に取り組むことで、生産効率より時間がかか っても出来上がるものの品質を大切にする。この工場には何もかもが丁寧で少 し懐かしい、そんな空気が漂っていました。

 

和歌山県に数社しか残っていないという「吊り編み機」を使った生地を編んでいる会社、和田メリヤス。今回は東京のショールームと和歌山の工場の2箇所にお邪魔して、社長の和田さんにお話を伺ってきました。

 

昭和32年創業の工場は、和田社長のお父さまの代から続いているそうです。その昔、和歌山のニット工場はみんな吊り編み機で仕事をしていたとのこと。しかしながら、今から30数年前、バブル期に新しい編み機が登場。そして時代は「質より量」を求めるようになってゆきます。

 

そこで和田社長は早速最新の編み機を見に行くことにしました。新しい機械は確かに大量生産に向いていましたが、今までの吊り編み機とは全く構造が異なっていて、編み上がる生地もまた性質が違ったものでした。機械を見て和田社長は確信します。「吊り編み機でもまだやっていける」と。すぐに和歌山のニット工場で使われなくなった吊り編み機を買い集め、いつしか東京のニット工場の最後の吊り編み機までが和田メリヤスにやってくるほどになりました。

 

「創業以来、吊り編み機一本でやってきた。それでもバブルのときには仕事が少なくなったこともあって、そんなときに声をかけてくれたのがデザイナーズブランドでした。生地を認めてくれて、コムデギャルソンとかイッセイミヤケの生地も作って。今でこそ色々なところとコラボさせてもらったり、声をかけてもらったり、ありがたいことですが、それでもこれから先やっていけるか危機感を持って取り組んでいますね」

 

最新の機械では、1回転すると数百段編むことができるのに対して、吊り編み機は1回転で1段。1時間に1メートルほどしか編むことができないという仕組み。だからといって決してゆっくり編まれているわけではなく、言うなればていねいに編まれているのです。この機械で和田社長は勝負に打って出ます。

 

吊り編み機で編まれる生地の特徴ですが、現代の機械で編む生地は縦の目に対して織り目が斜めになっています。ちょうどりんごの皮をむくようなイメージに近いです。この歪みを直しながら仕立てるため、洗濯崩れが起きたりするそう。

それに対して吊り編み機は生地がまっすぐで縦にも横にも伸び縮みし、型崩れしにくい。これは針自体の働きが大きく異なることから生まれる差なのだそう。「着てもらえれば違いがわかる」そう和田社長が断言する生地は、驚くほど肌触りが良いのです。「20年着ても型崩れしないよ」と、着古したパーカーを見せてもらってさらに驚きました。退色やほつれはありますが、パーカーの形はしっかりしたままなのです。

さらに吊り編み機の特色は、同じ機械で何種類もの生地が編めること。天竺も、裏毛も、パイルも、かのこも、部品を変えることで編むことができる。そんな機械を熱心に社長自ら工夫し、新しい編み地も生み出してきました。調整には熟練の技術がいるそうですが、和田社長ともなると、音で機械の調子が判るそうです。

 

和田社長は常に新しい挑戦に取り組んでいます。吊り編み機の制御から小さな部品、はたまた工場の省エネ化まで社長自身のアイデアがたくさん詰まっていて驚きました。話していてもどんどん新しいアイデアが紡がれてゆく、底知れぬ頭脳とバイタリティの持ち主なのです。

 

和歌山のニット工場は全盛期の3分の1に減っていて、これから先もさらにその半分ほどになることが見込まれるそう。和田社長は生き残りをかけて今までのようにアパレルブランドの生地を編むだけではなく、自分たちでお客さまに商品をお届けできるようにとファクトリーブランドを立ち上げます。

 

それが「Switzul」です。昔、職人さんたちが吊り編み機のことを「スイッツル」と呼んでいたことが由来だそう。

 

コンセプトは「身につけて心が豊かになる製品を。」

吊り編み機で編まれた生地で仕立てたSwitzulの洋服は、触ってみると柔らかく、とても気持ちが良いのです。まるで空気を編み込んだかのような手触り。感性に訴えかけるその着心地は、きっと一度知ったら病みつきになること間違いなし。しかも丈夫で長持ちし、型崩れもしにくいのです。良いものを長くという職人さんの魂が宿った洋服たちです。

 

今シーズンはBasicをテーマに、親子で大事に着ていきたいなと思ってくれるような商品を目指しているそうです。

 

「時代によって変わっていくけれど、その時代時代に合わせて自分たちも変わっていかないと残っていけないと思うんです。色々な編み方や、独自に作ってもらった糸や、いろんな柔軟性を持ってやっていきたい」

 

工場の将来についても、

「孫にも工場を見せたりしているんです。今はサッカーに夢中だけれど、30歳になったら工場を継いでみる? って話をしています」

 

また「これからは3Dプリンターで繊維を織れる時代が来るかもしれない」と、和田社長は最新の技術にも注目しています。その飽くなき探究心ときらきらと輝く目が印象的でした。これからも独自の製品を作り続けて、私たちをわくわくさせてくれることでしょう。

記事は取材当時のものです。