子どものころは川で泳いだり、水辺の生き物を観察したり。岐阜県で生まれ育ったわたしにとって、川はいつだって楽しい遊び場であり学び場でした。その川というのが日本三大清流のひとつとして名高い「長良川」です。
わたしが大人になったいまも変わらず流れる長良川。ふと、自分にとって大切な思い出の場所のひとつである長良川のことをもっと知りたくなった折に、長良川流域の観光やまちづくりに取り組む「NPO法人ORGAN」の河口郁美さんを通して岐阜の伝統工芸を巡るツアーのお話をいただきました。
川と伝統工芸。一見関連性がなさそうですが、なんと長良川流域には多くの伝統工芸があり、実は歴史的に見てもとても深いつながりがあるのだそうです。これは紐解いていくと非常におもしろそう……!
しかも今回のツアーというのが「鯉のぼり作り」を巡るものだというので、こうなったらもう興味津々。満を持して参加させていただくことになりました。
ところで、長良川は世界に誇る川だということが証明された出来事をご存知でしょうか。2015年、世界農業遺産(GIAHS:ジアス)に「清流長良川の鮎」が認定されたのです。
といっても「世界農業遺産ってなに?」と思われたかもしれませんね。これは食糧の安定確保を目指す国際組織である「国際連合食糧農業機関(FAO)」によって創設されたプロジェクトのひとつ。
世界において重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域が認定されており、それとともに育まれた文化や景観、生物多様性などが一体となったシステム全体を保全し継承していくことを目指しています。
長良川流域で多くの人々が暮らしを営む中で、鮎が生息できているのは水が美しく保たれている証。なぜなら鮎は澄んだ川でしか生きられないからです。
鮎を通じて見えてくるのは、自然環境や生態系を守り育てながら人が生活し、さらには豊かな資源や文化として成り立っていくという、すべてが連環する「里川」のシステム。この通称「長良川システム」こそが世界に認められ、「清流長良川の鮎」として世界農業遺産に登録されたというわけです。
と、前置きが長くなってしまいましたが、今回はこの大きな循環型システムの中のひとつである文化に着目し、川とものづくりがどのようにかかわってきたのかを探ります。長良川流域で栄えた岐阜の伝統工芸、そしてどのような鯉のぼりが生み出されているのか、その現場を見学しに行ってきました。
まず訪れたのは、長良川の上流に位置する郡上市八幡町。奥美濃の山々から流れ出た水が出合い、長良川の支流となって豊かに流れる吉田川や乙姫川はまるで町の守り神のよう。
郡上八幡城のふもとに広がる風情ある城下町には、川の水を生かした水路が張り巡らされています。いたるところで水のせせらぎの音が聞こえ、郡上八幡の「水の町」たる所以がわかります。
町歩きをしていると、美しい藍染ののれんがかかった一軒のお店にたどり着きました。こちらが今回最初の目的地、ここ郡上八幡で江戸時代の少し前、天正年間に創業した「渡辺染物店」です。15代目の店主・渡辺一吉さんがわたしたちを迎えてくれました。
渡辺染物店は昔ながらの染め物を続ける「郡上本染」の店で、天然の藍を原料とする日本伝統の染色技法「正藍染」であることが特徴です。郡上八幡の冬の風物詩のひとつ、「寒ざらし」で有名なあの鯉のぼりたちはここで作られているんですよ。郡上本染の染色方法は、藍染と鯉のぼりの染色(カチン染め)の2種類に分けられます。
店内には土中に埋められた藍甕(あいがめ)がずらり。なんと江戸時代から使い続けているもので、この中には天然の藍草を発酵させた蒅(すくも)に、灰汁や石灰などを混ぜ、醸成させて出来た染め液が入っています。これらはとても繊細で、気温や湿度に気を配りながら毎日撹拌します。
この液に生地を浸し染め、店の前に流れる水路ですすぎます。染め〜洗いの工程を繰り返すこと十数回。これが郡上本染ならではの藍染であり、深く濃い藍色が生まれる理由です。
一方で鯉のぼりを染め上げるカチン染めという技法は、大豆の絞り汁と顔料を用いるもの。染めの前には、まず生地の下絵の上に餅糊を置く「筒描」という作業を行います。色を入れたくない部分に糊で壁を作っておくようなイメージです。
これは筒描が終わり、刷毛を使いながら生地に色を入れていく様子です。糊を置いた部分だけが染まらず、ちょうど鯉の目や鱗の部分が最後に柄として残るようです。
目は仕上げに。目が入ると、命が吹き込まれたように感じるから不思議ですね。
色を全て入れ2日程度乾かしたら、いよいよ洗いの作業へ。糊を川で洗い落とすこの作業こそが「寒ざらし」です。すると落ちた糊の部分だけもとの生地の色が現れ、絵柄が生まれます。冷たい清流で洗うことで生地が締まり、鮮やかな色彩になるのだそうです。
残念ながら今年はコロナの影響で寒ざらしの様子は見学できませんでしたが、清流に泳ぐ鯉のぼりの優美さをひとめ見るため、全国や海外から例年多くの見物客が集まります。来年こそは見られますように。
「水の美しさは発色の美しさに大きくかかわります」と渡辺さん。というのも藍は酸化することによって発色するという特性があるからだそう。するとお店近くの橋まで案内してくださいました。
「奥に見える山からやってきた水が今こうやって川となっているんですよ。美しい滝も水源です。それが水路を通ってわたしたちが使う水になる。この水は冷たくて水中の酸素量が多いので、生地を洗うときに、生地の奥まで水中の酸素と反応させることができるんです。だから発色がよくなるのです」
またとても印象的だったのは「水を大切に使いたい」という渡辺さんの言葉。町中に張り巡らされた用水路は、町の人々に普段の生活に使われると共に、渡辺染物店では生業として今でも利用されています。
「水路をきれいに保ちながら使うことは、水を大切に思い、そして環境を維持することに繋がります。流れている水の様子がいつも見えるからこそ、大事にしたいと思うんです」
昔から水の恵みを生かす文化が根付く郡上八幡。終始穏やかな語り口の渡辺さんでしたが、この自然豊かな土地で、ものづくりを行うことへの責任や敬意といったものがひしひしと感じられました。
続いては岐阜市にやってきました。金華山のてっぺんにそびえる岐阜城がまちを見守り、ふもとにはゆったりと流れる長良川。ここではいったいどんな鯉のぼりに出合えるのでしょうか。
2月の某日、快晴の日に向かったのは忠節橋のすぐ近く。青空にはためく美しい旗が目印の「株式会社吉田旗店」に到着しました。
吉田旗店は大相撲の巡業や神社で使われるのぼりをはじめ、大漁旗やのれん、手ぬぐいなどといった大小さまざまな染物を手がけている老舗の旗屋です。今はまさに鯉のぼりの制作シーズン真っ只中! 笑顔が素敵な吉田敦子さんの案内のもと、工房を見学させていただきました。
工房に入るやいなや目に飛び込んできた鯉のぼりの制作風景。どんなものができるのかは後からのお楽しみです。
吉田旗店の特徴は、「美濃筒引き本染め」と呼ばれる技法が用いられていること。まず糊を筒に入れ、絞り出して文字や柄を縁取っていく「筒引き」を行い、糊が乾いたら染料を刷毛に取って生地を染める「引き染め」をします。渡辺染物店で見た染物同様、糊置きした部分が染まらず、洗い流すと生地の白色が残ります。
工房内では、6代目の社長・吉田聖生さんがまさに筒引きを行っていました。その手さばきはまさに職人技。スラスラと糊が引かれるさまはずっと見ていられるほど。
「この糊は天然素材で水に溶けやすく、昔から変わらない技法で作っています。夏場は暑さで腐ってしまうこともあるので、温度管理も仕事のひとつです。使う道具たちもどれも貴重なので、直しながら大切に使っていますよ」
筒引きのあと、糊が乾いたらいよいよ染めに入ります。子どもの日に向けて着々と職人さんたちが鯉のぼりを染め上げています。色鮮やかでとても美しく、完成が楽しみですね。
そして最後にたっぷりの水ですすいで糊を落としていきます。たっぷり水を使ったほうが環境にもやさしいのだそう。
そして工房の外で干し、しっかり乾燥させます。この光景は見ていてほんとうに気持ちいい。通行人も思わず立ち止まって眺めてしまうほどです。
最後に裁断、縫製を行い、たくさんの工程を経て完成した吉田旗店の鯉のぼりがこちら。カラフルで元気いっぱい! 子どもの逞しい生命力や自由さを感じます。名入れもできるので、贈り物にもぴったりですね。
工房を見学し終えたあとは、「現代の名工」に選ばれた会長の吉田稔さんにもお会いすることができました。吉田さんは何を隠そう、唯一手書きで相撲のぼりの四股名を入れられるベテラン職人。相撲のぼりの6割が吉田旗店で作られていることもあり、全国から相撲ファンたちが訪ねてくることもしばしば。
その職人技にわたしたちもお目にかかれました! 定規を用いながらサッサッと筆を入れていきます。文字の大きさや形にどんな意味があるのか教えていただきながら、あっという間に美しいバランスで力強い力士の四股名が描かれました。これは機械には為せぬ巧の技。圧巻です。
染物屋の近くにはきれいな水が必要不可欠。長良川のすぐ側でその恩恵を受けながら代々続く吉田旗店ですが、天然素材の材料を用いたり、道具を直しながら大切に使ったりと、環境に配慮しながらものづくりを行う姿勢が随所から感じられました。
最後に職人の皆さんでパチリ。手しごとから生まれた美しい染物と、皆さんの笑顔が青空に映えます。
伝統工芸を巡る旅もいよいよ終盤。最後にやってきたのは、岐阜・川原町の趣ある街並みからほど近い場所に工房兼お店を構える「小原屋」です。
戸を開けるとそこにはゆらゆら宙を泳ぐ鯉のぼりたちがお出迎え。これが小原屋の作る岐阜県郷土工芸品「のぼり鯉」です。「なんて可愛らしいの!」と、伝統工芸品に対しての印象がいい意味で覆された瞬間でもありました。家の中にも飾りやすいコンパクトな大きさが愛らしさをいっそう引き立てます。
素敵な小上がり座敷でわたしたちを迎えてくれたのが、13代目の河合俊和さん。のぼり鯉を作る唯一の人物でありながら建築家でもあるという異色の職人です。
鯉のぼりといえば布製が主流ですが、こちらののぼり鯉の最大の特徴は和紙でできていること。その和紙というのが、同じく岐阜の伝統工芸品である、楮100%の美濃手漉き和紙です。紙漉きの作業工程には大量の水が必要とされることで知られており、ここでも長良川の恩恵によって栄えた文化を垣間見ることができました。
小原屋の創業は慶長年間と古く、もとは油紙(油をひいた防水紙)を製造していました。かつては火縄銃を包むものとして重宝されており、また華道の花を包む紙や花合羽として庶民にも愛されていたのだそうです。
「昔は長良川の川原に油紙を干していたんですよ。玉石川原だったので、干すにはぴったりで。でも今では滅多にその玉石も見られなくなってしまいました」
この影響と需要の減少もあり、次第に油紙の生産は減り、現在はのぼり鯉のみを作る小原屋。岐阜に生まれ、子どものころは川が遊び場だった河合さんにとって、これは環境の変化を肌で感じた出来事のひとつだったのかもしれません。岐阜に限らず、自然環境と工芸は密接に結びついているのです。
さて実際にのぼり鯉の制作現場を見学させていただきました。美濃和紙を揉みこんで柔らかくなった生地は、布のような立体感が生まれます。このしわがまたいい塩梅に色のぼかしを表現してくれて、躍動感のある鯉へと命が吹き込まれます。
「美濃和紙という文化なくして、こののぼり鯉は生まれませんでした。岐阜のものづくりはこうやって線のようにつながっているのです」
また古来より鯉のぼりの色は中国の自然哲学である「五行説」にもとづいており、こののぼり鯉も例外ではありません。自然界に存在する全てのものが影響し、循環し合う理のように、青、赤、黃、白、黒色にそれぞれ意味を込め、子どもの健やかな成長と立身出世を願います。手描きだからこそ、一つひとつに河合さんの思いも宿るのかもしれません。
「人間は自然と共存しているように考えてしまいがちですが、忘れてはならないのがわたしたちは自然の一部であり、その恩恵を”いただいている側”であるということです」
こう語る河合さんの思いに触れて、岐阜の自然と伝統から必然的に生まれた、先人の知恵が息づく玩具であるのぼり鯉にすっかり魅せられてしまいました。
このツアーを終え、今回アテンドしてくださったNPO法人ORGANの河口さんが最後にあるものを見せてくれました。それが同じくこの長良川流域で生まれた伝統工芸品「岐阜和傘」。
河口さんは、美濃手漉き和紙でできている和傘に岐阜の染めの技術を生かせられないかと、渡辺染物店の渡辺さんと吉田旗店の吉田さんにそれぞれ直談判! おふたりとも今まで和紙を染めた経験がない中で、河口さんの熱い依頼を受けてチャレンジし、世にも美しい和傘が誕生しました。
上:渡辺染物店の藍染を生かすと、銀河を彷彿とさせる幻想的な模様が現れました。
下:吉田旗店ならではの鮮やかな色合い。空の色のようなグラデーションにうっとり。
和紙、染め、和傘という長良川流域の手しごとがリレーして1本の和傘へ。これこそが点ではなく線としてつながっているものづくりです。河口さんのとびきりの笑顔が、この土地ならではの豊かさを物語っていました。
伝統と手しごとによって生まれた多様な鯉のぼりとの出合いを通し、「岐阜のものづくりってやっぱり素敵だな」とあらためて感じました。そして何より印象的だったのは、作るものや場所が違えど、作り手のみなさんは身近にある自然を大切に敬いながらものづくりを行っているということ。だからこそ伝統は続いているのです。
今回伺った3軒だけでなく、長良川流域には前述の美濃和紙や岐阜和傘をはじめ、岐阜提灯、関の刃物など豊かな伝統工芸品に溢れています。
また岐阜では、長良川上中流域の農林水産物をはじめとするさまざまな関連商品が「清流長良川の恵みの逸品」として販売されています。「清流長良川の鮎」の世界農業遺産への認定を通し、「長良川システム」を未来につなぐことを目指しています。
長良川を知ることで見えてきたさまざまなつながり。これからもこの美しい清流を保ち、誇らしい文化を継承していくためには、見て、知り、伝えることが大切なのかもしれません。今回わたしも故郷・岐阜の新たな一面を実際に知ることができ、さらに岐阜愛が深まりました。取材に協力していただいたみなさま、この度はありがとうございました!
取材協力:
郡上本染 渡辺染物店
株式会社吉田旗店
小原屋
写真提供:NPO法人ORGAN
埼玉県新座市に工房兼オフィスを構える「NUB creative works(ナブ クリエイティブ ワークス)」。木ならではのあたたかさと優しさが同居する魅力的なものづくりがそこにあります。今回は株式会社NUBで雑貨作りを担当されている久米澤由梨さんにお話を伺い、その舞台裏をのぞいてみました。
NUB creative works(以下NUB)では、木を主素材とした住宅及び店舗用のオーダー家具、オリジナルインテリア雑貨、そして住宅及び店舗内装を全てデザインから制作まで一貫して手がけています。
木の持つ優しい雰囲気を残しつつ、現代的かつスタイリッシュさをしっかりと感じさせるデザインは大変美しく、私たちを惹きつけます。そんなNUBのブランド立ち上げのきっかけになったのはある想いからでした。
「大学で木を主素材とする工芸の勉強をした後、ものづくりをして暮らしていきたいという思いが芽生えました。木を扱う仕事の中でも様々な分野の”作る”を模索し、自ら考え出すものやかたちを発信していこうとブランドを始めました。」
素材である木と作ることへの想いが結びつき今に至ったのです。そうして出来上がったブランドNUBで、いま大切にされていることについて伺ってみました。
「ブランド名である“NUB”という単語には、要・本質などといった意味があります。ものの形やコンセプトにおいて、その時々に応じて要となるポイントに着目して考えていく。普通のことですが、空間やシーンの中の要素となるものを作り出す上で大切な部分だと思っています。」
「また自分たちで日々実際に手を動かすことにより、制作の工程の中で生まれる気づきを常に反映させ、更新していけるという点に魅力を感じています。」と久米澤さん。
NUBがひとつひとつ丁寧にものを作るということには、素敵な理由があったのですね。また私たちが日常で使えるキッチン用品等の生活雑貨も生み出していますが、シンプルながらも洗練された印象。NUBのデザインアイデアはどんなところからやってくるのでしょうか。
「キッチン用品のような用途ある道具については、使いやすさを最も重視し長く使える形を考えた上で、使用中でも保管時でもシンプルできれいであるように、と思い形状を模索しました。」
「また木の材料の中からいかに無駄なく(捨てる分を少なく)制作するかという点も、資源を使ってものを作る立場においては重要な視点であり、それも含めて形を考えていきます。見た目としてのデザインは人それぞれに好みがあろうとも、なにを持って”良いもの”となるか、ということも考えています。」
“無駄なく”制作するという考えから、NUBのこれからの展望が見えたような気がしました。というのも、もともとキッチン用品等の雑貨を作るようになったきっかけは、木工家具を作る際に出る端材に着目したことなのだそうです。家具屋として木を扱っていると、家具には使い道のない小さな端材がどうしてもたくさん出てしまうのです。その反面で見えてくることも、と、久米澤さんは続けて語ります。
「日本に限らず世界的に多くの樹種が違法伐採や乱獲など、様々な理由により絶滅の危機に直面しており、入手困難な樹種は年々増えています。自らの手で作ることを続けていると、こうした現実を実感する場面が多くあり、自然と見過ごすわけにはいかなくなってきます。」
「そんな中でも作り出すからには、愛されるものを、また木という素材の可能性や適した使い方、他素材との組み合わせなど広い視野で考えながら、私たちのものづくりの世界観を表現していきたいと考えています。」
普段身近にあるものこそ、その存在の大切さを忘れてしまうことってありますよね。木も同じです。私たちの生活に身近すぎる素材と言っても過言では無いかも知れません。だからこそNUBの生み出す作品の根っこにある、久米澤さんたち作り手の想いに共感ができるのではないでしょうか。
実際に商品を手に取り、触れてみるとそのものづくりの素晴らしさを感じることができます。手しごとならではの温もりが伝わってくるのです。また、使う場面を想像したり、置き場所や合わせる食器を考え想像することが雑貨選びの極意だと久米澤さんは言います。自分にとっての良い使い方や、ギフトならばその相手の事など、たくさんの自由な想像が生まれることが作り手としての喜びでもあるのだそう!
「私たちの作るものは生活必需品というよりも、嗜好品に分類されるものだと思っています。しかしながら、嗜好性の高いものだからこそ纏う空気があり、存在価値がある。そんな彩り豊かなものづくりを目指しています。」
そんなNUBが発信するものづくりは、あなたの日常や意識をちょっぴり豊かにアップデートしてくれるはず。ぜひチェックしてみてくださいね。
こちらは2020年2月12日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当初のものです。
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ふだん着のように、日常の中でさりげなく使える畑漆器店の木と漆のうつわ。漆は装飾のために施されることもありますが、もともとは木材に漆塗りを施すことで耐久・耐水性や防腐性を高め、日常づかいをすることで経年による艶や変化を楽しむもの。畑漆器店では、そんな「毎日のように使える」「いろいろな用途で使える」うつわを作っています。
畑漆器店のうつわは、日々の暮らしのシーンに馴染むものばかり。長く使いこむことでものへの愛着が生まれ、「使い手の日々の暮らしが少しずつ豊かになっていく」、そんなものづくりを目指しています。
2011年、「近年、若い世代にとって伝統的な漆塗りの器は使いづらく、デザインも古臭く捉えられて漆器離れが進んでいる」と感じた畑漆器店は、外部のデザイナーMUTEを迎え、カラフルで日常生活に取り入れやすいデザインの漆器を作りました。
そうして生まれたのが、今の畑漆器店を代表するcol.ブランド。シリーズの一つ「hako」は、どこか北欧を感じさせるシンプルなお重のようなデザインです。
デザインだけでなく収納力もあるので、「料理を盛る」ためのうつわとしてだけでなく、収納ボックスのように使えるのも魅力的。Mサイズは細々としたものを入れて「大人のお道具箱」に。Sサイズはいろんな種類のおつまみを盛って、晩酌のお供にほどよいサイズ感です。
好きな色を選んで、好きな場所で、好きな使い方ができる。でも、漆塗りの「hako」はやっぱり王道のお弁当箱に。などなど、「自分ならどう使おうか」と考えるのも、日常づかいを意識したデザインだからこそ。
「畑漆器店」は、1930年に初代・畑 卯之松氏が手塗り職人として独立し、二代目の畑 實(みのる)氏とともに漆器全般の販売をスタート。以来、伝統的な山中漆器の技法を継承し、暮らしに根ざす道具を作り続けてきました。
山中漆器の技法とは、原木を輪切りにする「縦木取り」で木材を切り出し、職人が手作業でろくろにかけて木肌をなめらかにする技法。木が重力に逆らって空へ伸びていく力を残し、原木の年輪に対して垂直に切り出されたうつわには強度があり、歪みや収縮に強く、ずっと長く使うことができるのです。
創業者の畑 卯之松氏の名前を冠した卯松堂ブランドは、昔ながらの手仕事のベーシックな魅力を感じさせてくれます。
木と漆のうつわを日常で使うと、いろいろな発見があります。たとえばお茶の時間。ガラスや陶器よりも木製のうつわは熱伝導率が低いため、アツアツのお茶を入れてもうつわが熱くなりすぎることがありません。また、冷たいものを入れても結露しにくいほか、口当たりも優しくなるのです。
col.ブランドの「KOMA」は、そんなお茶の時間にぴったり。見ての通りコマのような形で、ふたをソーサーとして、またはお茶菓子の受け皿としても使えます。見た目も可愛らしいので、小物入れやインテリアなど、いろんな用途で使うことができますね。
col.ブランドを展開したことで、海外からもたくさんの問い合わせが来るようになった畑漆器店。これからも伝統の山中漆器の技法を大切にしながら、世界中の人たちへ、日本の木と漆のうつわを届けていきます。
こちらは2020年3月2日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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ぽってり熟した旬のりんごを、ひとくちサイズに閉じ込めた『りんごのマカロン』。マカロンといえば、クリームをサンドしたパリ風のマカロンが有名ですが、『りんごのマカロン』は“マカロン・ダミアン”と呼ばれるフランスのピカルディ地方の伝統的なレシピが元になっています。可愛らしいだけでなく、東京駅ニッコリーナで人気1位に輝くほどの実力派でもあるのです。
東京・国立(くにたち)の小さな工房で、一つ一つ手作業で作られているりんごのマカロン。ちょっと不揃いなところも、まるで本物のりんごのよう。緑色のヘタのように見える部分にはピスタチオが埋め込まれています。
見た目はクッキーのようですが、主な材料はアーモンドプードルとりんごのコンフィチュール。「サクサク」ではなく「むぎゅむぎゅ」というような独特の食感がくせになる人も多いそう。
『りんごのお菓子 ポムム』は、住宅街にたたずむ一軒家に工房と直売所を併設した小さなお店です。売り場のすぐ後ろが工房になっており、りんごのマカロンをはじめ、りんごのマフィンやりんごのプリン、タルトやアップルパイなど、作りたてのお菓子が並びます。近隣だけでなく、遠方から訪れるお客さんも多いのだとか。
「りんご」はフランス語でポム(pomme)といいますが、ポムム(pomum)とはラテン語のりんごを意味するそう。
「“ポムム”の響きがとても可愛らしく、たくさんの人に親しんでもらいたいという思いから名付けました」と、代表の佐藤方子(さとうみちこ)さんは話します。
小さな頃からお菓子が好きで、高校時代からお菓子作りをはじめたという佐藤さん。毎週のように自宅のキッチンを独占しては、新たなお菓子の試作に挑戦していたといいます。
「やがて家族みんなが私の作るお菓子を楽しみに待っていてくれるようになりました。お菓子が完成する夕方ごろになると、ふたりの弟と両親がリビングに飛んできて、みんなでお茶とできたてのお菓子を囲んだものです。自分が作ったものを食べて“美味しいね”と言ってもらえる喜びが忘れられなくて、いつかお店を持ちたいと自然に思うようになりました」
そんな思い出の中でもりんごのお菓子は特別で、お母さんがよく作ってくれた「煮りんご」の懐かしい味は、今でもお菓子作りの原点になっているそうです。
「ちょっと酸味のある紅玉(こうぎょく)と甘い砂糖が合わさったときに生まれる深いコクが、昔からなんとも言えず好きなんです」という佐藤さん。
2007年に念願かなえて、自宅の一階で『焼き菓子工房 ポムム』をオープンします。開店以来の定番商品『りんごのマフィン』は、ほんのりシナモンが香る“煮りんご”が元になった懐かしい味で、長年のファンの方も多いそう。マフィンの上にはりんごのコンフィチュールのゼリーをかけるのがポムム流です。
ポムムのりんごは、佐藤さんのご主人の故郷でもある青森県産のもの。りんご農家さんたちの努力の賜物でもある、品質と保存状態のいいりんごが、1年を通して届くのだとか。
春には紅玉、ふじ、王林。夏には恋空、秋にはさんさ、冬から春にかけては紅玉……と、実はポムムのお菓子は季節に合わせてりんごの品種が移ろうのです。佐藤さんはそれぞれのりんごの良さを活かすため、品種に合わせて微妙にお菓子のレシピを変えているそう。
紅玉が丸ごと1個使われた『りんごのタルト』は、紅玉の鮮やかな赤色を活かした、りんごをこよなく愛するポムムらしいタルト。丁寧にスライスした紅玉を、特製クレームダマンドの上に綺麗に並べて、オーブンでじっくり焼き上げます。10月頃〜翌年4月頃の紅玉の季節限定のタルトです。
『りんごのプリン』は、絹のように滑らかな口どけのなかに、りんごのコンフィチュールとカラメルが絶妙に絡み合い、一度食べると忘れられない一品です。
今ではポムムの看板娘ともいえるりんごのマカロン。ですが、マカロン以外のお菓子にもポムムにしかないこだわりや、りんごへの深い愛情が込められていることが伝わってきます。
「マフィンやプリンといった定番のお菓子でも、必ずどこかにポムムらしいエッセンスを加えるようにしています。ひと手間をかけて、丁寧に作り続けることを大切に。食べてもらった人たちの“美味しい”という声が、昔も今も一番の喜びなんです」
りんごとお菓子作りへの思いがぎゅっと詰まった『りんごのお菓子 ポムム』。可愛くて奥深い、お菓子になったりんごの魅力はここにしかないもの。あなたも一度、小さなお店を訪れてみませんか?
こちらは2019年5月6日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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みなさんは、佐賀県が刃物の製造において長い歴史があることをご存知ですか?ピンとこない方が多いかもしれませんが、佐賀刃物のルーツをたどると、遥か慶長年間にまでさかのぼります。その中でも肥後刃物の流れを受け継いで、2,000種以上の刃物を取り扱っているという、日本でも数少ない刃物工場が「吉田刃物」です。
初代創業者は弟子入りから刀鍛冶となり、戦後は鍬(クワ)、鎌(カマ)の農業用刃物や園芸用、機械用など刃物一筋で生産を続けてきました。
刃物産地として有名な、新潟三条、大阪堺、岐阜関、福井武生、兵庫三木小野、高知土佐山田等の刃物産地では、多くの刃物関連業者が存在し、生産体制が整い、鍛造(たんぞう)、焼入、仕上、柄付等の工程の分業が多かったのだとか。
一方で周辺の刃物関連業者が少ない佐賀の吉田刃物では、いち早く機械化を進め、自社での一貫生産を確立した事が後の多種多様な刃物の開発、生産に役立つ事となります。こういった工場は全国的にも珍しく、いろいろな刃物に関する相談が舞い込んできます。
その依頼に応えるうちに、なんと扱う刃物が2,000種以上になってしまったというから驚きです。主力は農業園芸用の刃物で、北海道のじゃがいも畑から、沖縄のサトウキビ畑まで、吉田刃物の製品が日本全国で使用されているそう。
現在、吉田刃物が扱う製品のなかで、包丁の占める割合は約8%ほど。しかしいま、その伝統革新の技術を生かした新しい包丁が国内外から注目を集めています。
それがZDP189というステンレスの特殊鋼材を使った高級包丁。写真はダマスカス模様の製品で、ZDP189を刀芯に、ステンレス鋼を重ねて21層の多層鋼にした技術の結晶のような逸品です。今では海外からの人気も高く、種類によっては半年近く待って手元に届くほどの人気ぶり。
ZDP189の特徴はなんといってもその硬さと長持ちする切れ味。さらに、ハガネ以上の硬さにも関わらず、ステンレスでサビに強いところ。硬いと刃が丸くなりにくく、普通のステンレス包丁より頻繁に研ぐ必要がありません。
ただし、非常に硬いので家庭できちんと研ぐにはちょっと大変です。愛用者は吉田刃物に郵送すれば安価で研ぎもしてくれるので安心です。世界トップクラスの硬さを誇るこだわりの製品で、こだわりのお料理はいかがでしょうか。
最初はその切れ味にびっくりするほどだというこの包丁。普通だとなかなかきれいに切ることが難しい、パンでもケーキでも巻き寿司でもなんでもよく切ることができます。これを使うと他のものは使えないという愛用者も多数いるほど。切れ味が良く細胞を潰さず水分を逃がさず切れるので、食材の味を活かせると人気です。
工房では15人ほどの職人さんが、一心不乱に仕事に取り組んでいます。火と鉄を扱うとても体力のいるお仕事ですね。今回取り上げさせていただいたZDP189の包丁は、海外のお客様よりどうしてもこの鋼材で製造して欲しいとの要望を受けて、新しいものづくりへのチャレンジとして作られた包丁なのだそう。
実際に工房を見学させていただきました。
ZDP189は黒打ちのシリーズも展開されているのですが、この刃物材でこのシリーズは世界でも吉田刃物だけといっても過言ではないほど特徴的なもの。鍛造(たんぞう)で鍛えたなんとも言えない黒い肌を出すために、試行錯誤を重ねてこられたそうです。ステンレスなのに昔ながらのハガネのような黒打ちの風合いが、逆に新しいと海外からも人気なのです。
編集部がお伺いしてびっくりしたのは、その価格。職人さんが手仕事で作られた希少な包丁にもかかわらず、なかなかリーズナブル。と、その感想をお伝えしたところ「佐賀の地元価格では高いと言われてしまうんですよ」と笑ってお話ししてくださいました。
この包丁を手にすることで、普段のお料理がちょっと楽しくなる、すこし豊かな気持ちになる。家事はひとつひとつの道具が便利になることで、ぐっと負担が減りますよね。そんな風に、普段使いで使って欲しい、一生モノのマイ包丁。道具としての使いやすさとバランスを追求しているので、ぜひ使い込んでくださいとのことでした。
今後の目標は、海外進出。まずはドイツの国際見本市アンビエンテに初出展が決まっているそうです。佐賀から世界へ、佐賀の刃物を発信していけたら、というチャレンジです。
いままでは真面目にひたむきに刃物を作ってきたので、なかなか情報発信できずにいたそうですが、全国的に鍛冶屋が少なくなっている中、各地のお困り事、要望の中から、さらに新しい製品を生み出していき役に立ちたい。
その根本には「より使いやすい商品をお求めやすいお値段で」という想いがあります。
又、現代では使い捨ての風潮がありますが、「長年使用して使い慣れた刃物を、修理して大切に使いたい」などの要望から、自社製・他社製問わず、包丁、ハサミ、農具等の刃研ぎや柄替え等の修理も行っているとの事。「畑から台所まで、幅広くサポートしますよ」と語ってくださいました。
新しいものとの出会い、それが生む体験やストーリーにはいつだってわくわくしますよね。それが大切に作られたものならなおさら。この機会にぜひ、吉田刃物の包丁、刃物を手にしてみてはいかがでしょうか。いまよりちょっぴり嬉しい、豊かな暮らしがそこにはあるかもしれませんね。
こちらは2018年10月5日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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「提灯」を聞くと、みなさんなにを想像しますか?いちばん身近なところでは、お祭りの飾り付けを見たことがある方も多いかと思います。実は提灯は遠く室町時代から続くといわれている、日本の伝統産業のひとつです。そんな提灯を現代の生活に取りいれ、身近で楽しめるよう新しい提灯づくりをしている「鈴木茂兵衛商店」をご紹介します。
鈴木茂兵衛商店は、慶応元年(1865)に四代目の鈴木茂兵衛の提灯づくりに始まり、現在まで提灯製造と卸問屋として歩んできました。およそ1世紀半の長きにわたり、「水府提燈」をすべて手作業で作りつづけ、さらに、祭事や行事他、さまざまな場面で使われている提灯の製造と流通、普及に努めてきました。
最近では、瓶の形を提灯で表現した「瓶型提灯シリーズ」や、水戸市出身のアーティスト、ミック・イタヤ氏デザインの「MICシリーズ」などの斬新なアイデアから生まれた提灯も生み出していて、デザインの世界においても高く評価されています。中でも「ICHI-GO」「SWING」シリーズはグッドデザイン賞を受賞しています。
ICHI-GO
SWING
MICシリーズが生み出されたきっかけは、水戸の偕楽園で行われている「夜梅祭」での提灯展示の依頼を受け、社長と幼馴染だったミック・イタヤ氏に依頼したことがきっかけなのだそう。
知らない方も多いと思いますが、堤灯の定義は「たためる」こと。
もちろん新しい形を生み出すにあたり、たためることを念頭に置いて設計、開発をしているのだそう。
MICシリーズには「起き上がりこぼし機能」や「音感センサー」、「ゆらぎLED」などが搭載されているものもあり、使用シーンやお客さまの使い勝手に合わせて選ぶ楽しみがあります。
鈴木茂兵衛商店の提灯を手にしたお客さまには、コーポレートメッセージの「提灯の、美しい、新しい、楽しいを日本から」という言葉通り、伝統と革新のものづくりから生み出された美しくて新しい提灯を生活の中で身近に楽しんでもらいたい、とお話ししてくださいました。
今後について伺うと、提灯の可能性を広げていける活動を進めて行きたい、とのこと。
鈴木茂兵衛商店の強みとして、オリジナルの形で提灯を作ることができるので、伝統産業という枠組みにとらわれず、企業の販促ツールやイベントで使用する大きなオブジェ的なものまで手がけてみたいと考えているそうです。
また、提灯を身近に感じてもらえるような商品開発や、イベントなどで実施しているワークショップもさらに力を入れて行きたいとのこと。また、日本のみならず海外での商品展開も考えて、新たな活動に挑戦してゆくそうです。
伝統産業という言葉のみに甘んじることなく、真に「今のくらしに対応できる提灯」づくりに励み、灯りのやさしさ、形の美しさなど、提灯ゆえの魅力を追求してゆく鈴木茂兵衛商店の提灯、ぜひ一度目にしてみてください。
実物は
・神保町いちのいち ソラマチ店
・神保町いちのいち 池袋店
・DWARF http://dwarf-tokyo.com/
・KITTE http://jptower-kitte.jp
などでご覧になれます。
こちらは2018年6月25日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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誰もが子供時代に遊んだことのある花火、その伝統を守りながら技術を生かし、魅力ある新しい製品を作り出している花火工場があります。見た目にもユニークで美しく、遊びごころいっぱいの花火が生み出される福岡県の「筒井時正玩具花火製造所」にお話を伺いました。
筒井時正玩具花火製造所は80年以上子供向けの玩具花火を作ってきた工場で、日本で3社しかないという国産線香花火の製造所でもあります。
製造所は福岡県みやま市の緑豊かな土地に構えられています。
過去には国内唯一の線香花火製造所であった工場が廃業し、日本の線香花火は消えてしまったと思われていましたが、3代目筒井良太さんがその製造所の技術を引き継ぎ、現在に至ります。
伝統の光を守り続けながら、常にユニークで新しい花火を作り出している理由は、子供だけではなく多くの方に興味を持ってもらい素晴らしい日本の伝統を後世につたえたいから。
人を笑顔にさせてくれる、夢のある遊びを絶やさずに生み出し続けています。
ところで線香花火は東日本と西日本で形状が異なるのをご存知でしたか?
関東地方を中心に親しまれている線香花火は写真中央のもの。写真右の線香花火は関西地方で遊ばれている300年変わらない線香花火の原形とも言われている花火です。
筒井時正玩具花火製造所ではこんなユニークな花火も作っています。この「吹き上げる鯨花火」は大きな体から豪快に潮を吹き上げる鯨の様子を花火で表現したもの。
一目見たときは、花火だとは思わなかったほど。とても遊びごころと創造性に富んだ花火ですよね。
こちらは線香花火とは思えない、可憐で繊細なデザインの花火です。
八女の手漉き和紙、宮崎の松煙、草木染めなど材料にとことんこだわり新感覚の線香花火を目指したそうです。また、線香花火の先を花びらのように撚りあげ、束ねて広げること一輪の花のように見えます。
ギフトにも大変喜ばれそうですよね。
また線香花火もワインと同様、「熟成」によって味わいが深まるそうです。時を経た線香花火は、どこかやわらかく、温かみのある火花を散らします。購入時のパッケージに入れ、湿気のない場所で保存し、翌年の楽しみにするのも一興です。
人の一生に見立てられることもある線香花火ですが、「違った視線で花火を感じてほしい」と筒井さん。
線香花火はひとつひとつ職人さんの熟練の技で手作りされています。その伝統や文化を含め、海外にも魅力を伝えていきたいそうです。
伝統の光、線香花火。これからの季節、たまには子供心に返って花火をゆっくり楽しんでみませんか?
こちらは2017年5月19日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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静岡県の森町は焼き物の里としても知られる自然豊かな場所。その森町に吹きガラスで暮らしの器を製作している工房があります。floresta fabrica(フロレスタ ファブリカ)はポルトガル語で「森」と「製作所」という意味。うぐいすがさえずるのどかな土地に構えた工房にお邪魔して、うつくしいガラスの作品についてお話を伺ってきました。
ガラス工房で製作に携わるのは、鈴木努さんと横山亜以さんのお二人。なんとも素敵なお庭に佇む日本家屋で工房を始められたのは、2016年の2月からだそう。近くには伝統の森山焼の窯元が、古くからは4件、今は8軒ほどあるという、ものづくりの盛んな場所です。
実は鈴木さんも、ひいおじいさんの代から続く森山焼の窯元がご実家なのだとか。窯元はお兄さんご夫婦が後を継いで、今でも創作活動を続けていらっしゃいます。
高校を出てすぐ、ガラス工芸の技術を学ぶ学校に進んだ鈴木さん。川崎の専門学校で基礎を学んだあと、福井で本格的な吹きガラスの技術を学びます。そして東京で数年間働き、この森町に戻ってきました。
ものづくりの町であるこの土地が好きで、最初から工房を作るなら森町でと考えていたそうです。開口部を大きく取った今の工房は、森町の物件を色々と探した中で見つけた場所。
陶芸の窯元が多く、見学者の方も足を運ばれるため、このガラス工房も見学用にとギャラリースペースを広く作っています。お二人で考えて大胆に襖や欄間を外したり、木を貼ってみたりと、色々と手を加えられた素敵な空間。ゆっくりとした時間が流れる、そんな雰囲気にガラスの透き通った存在感が引き立ちます。
floresta fabrica(フロレスタ ファブリカ)の吹きガラスの特徴のひとつは、透明度の高いソーダガラスを使っていること。そのソーダガラスですが、釜で溶かす作業ひとつをとっても、透明感のあるきれいなガラスに仕上げるために非常に気を遣う作業なのだそう。
また色のついたガラスについては、アメリカや北欧の食器にある強い色味ではなく、やわらかな中間色を使って、一年中食卓の上にあっても違和感のないような器にあえて仕上げています。
ガラスはどうしても夏のイメージが多いので、作り手としては一年中使って欲しいという気持ちから色味にはこだわっているそう。お客さまからは「こんな色もあるんですね」と驚かれることも。
ひとつひとつ手作りしている、ハンドメイドの良さを強みに、日常をちょっと華やかにしてくれるような器を提案しているお二人。あくまで作家性を前面に出すのではなく、生活に寄り添うことを意識しながら、そこにちょっとしたかわいらしさやアクセントを付加しているそうです。
そんなfloresta fabrica(フロレスタ ファブリカ)の器、手に取ったお客さまには自由に楽しんでいただきたいとのこと。ものが入ってこそ完成する器だと考えているので、お客さまが使う様子をSNSで見て、こんな風に使ってもらえているんだという発見があったときはひときわ嬉しい瞬間です。
「割れるのが怖いからと買っても使わずに食器棚にしまわれてしまうのが一番悲しいです」と横山さん。割れてもいいから使って欲しい、お客さまには陶器と同じように扱ってくださいとお伝えしているそう。
作り手の鈴木さんの楽しみは、自分が描いている理想の器に限りなく近づいたものができあがったとき。もちろん販売するには何の問題もないものだけれど、鈴木さん個人がすごくいいなと思うものは1日にほんの数個。それはまさに作り手のこだわりなのかもしれません。
今後は他業種の方とのコラボレーションや、他の素材との組み合わせなどもものづくりの可能性として考えているそう。陶芸の町ならではの新しい作品ができあがるかもしれませんね。これからのお二人のご活躍に期待したいです。
こちらは、2017年6月23日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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日常に欠かせない傘。ついつい便利なビニール傘を多用してしまいますが、わたしがある時出会ったのは目を引くデザインの傘。思わず手にとってみると、丹念に織られた生地が使われています。迷わず購入してからというもの、雨の日の足取りが少しだけ軽くなりました。
その傘を作っているのは、山梨県に工場を構える「槙田商店」です。創業は1866年の江戸末期、当時は絹糸の買い付け業をしていたそう。程なくして山梨で扱われている織物、甲斐絹(かいき)と言う地域の名産を扱うようになります。
甲斐絹自体が江戸の着物の裏地に使われていました。甲斐絹という織物は細い絹色を先に染めてからストライプやチェックなどの、絹織物を長らく使っていました。震災や戦争で事業を縮小した時、戦後の織物が減って行った際に、今まで作っていたものをどうするか考えました。
今では貴重になった生地のスットクも少しずつ集めてきたそう。100年近く昔のデザインでもどこかモダンに見える美しさに驚きました。
そこで新しい時代に合わせたネクタイやスーツの裏地、カーテンや座布団の生地などを作ることに。実はネクタイはの生地の流通量で一番織られているのは山梨県のこの地域なのだそう。槙田商店では甲斐絹自体が薄くて美しい生地なので傘などにも使っていました。
先先代の4代目が傘に注目し始めたことで、今まで生産していた甲斐絹の事業から傘に移行していったそうです。昭和の29年頃から傘生地に特化するようになりました。この傘生地は一から織られているもの。糸自体はメーカーから仕入れているものの、細い糸を先染めの手法で織っています。その糸に撚りをかけることで強度を増し、染めるという手法をこの産地では行っているそうです。
この様々な工程はそれぞれこの一帯で分業していて、洋傘を作っています。この洋傘は明治頃から需要が高まってきたもの。
明治初期にはいわゆる「コウモリ傘」という、紳士が使うような黒色の傘から始まったと言われています。槙田商店が傘を作り始めたのも昭和29年頃。いろいろな色柄のものを作っていたそうです。
感覚的な特徴にはなってしまうけれど、この織物で作られた機能に特化するよりも、糸と糸を掛け合わせることで表現される色の変化、柄の立体感が槙田商店で作られている傘の大きな特徴。日本人には着物文化が根付いていることもあり、その美意識に訴えかけるような芸術性の高い生地はなかなか他では作ることができません。
最近ではデザイナーや東京造形大学との学生とコラボレーションすることで、新しい表現にも挑戦するようになりました。その度に新しい発見があり、面白い傘が出来上がることもあるそうです。
基本的には傘を量産する場合には、生地に加工をかけてから作っていくのが一般的です。しかし槙田商店で作るものの中には新しい試みを取り入れることで、一般的なメーカーではなかなかできないものづくりを社内で一貫して作っています。
もちろんすべて手をかけて作っているので量産はできません。けれどお客さまからの評判は高く、他とは違った手をかけた商品を欲しいと思ってくださる方も少なくありません。なので、年内に作ったものはほとんど売り切れてしまうほどの人気なのだそう。最近ではその他にレインコートなどの雨具も作っています。
気軽に使うことができるビニール傘。もちろんそれが悪いということではないけれど、ちょっぴりいいものを使うということは生活を豊かにしてくれる、と槙田さんは考えています。使ってくださる方の気持ちをウキウキさせてくれるような、そんな傘として使ってもらえることも傘作りのひとつのモチベーションに繋がっています。
こういったていねいなものづくりが山梨という土地でおこなわれていることを、もっと知って欲しい。これからはこの土地を盛り上げるべく、お客さまに気持ちよく商品を見てもらえるような空間作りもしたいと考えているそうです。
富士吉田市ではハタオリマチフェスティバルというイベントを10月に行っているそうで、機織りの街としてどんどん認知してもらうことにも力を入れているので、ぜひ足を運んでみたいですね。(2019年6月現在)
いま機屋は30代、40代の若手が頑張っています。これからは様々な試みをすることで、機織りの産地として山梨という土地を盛り上げていこうと努力しています。
実はわたし自身がすっかりこの傘のファンになってしまい、今回の取材をお願いさせていただきました。織物でていねいに作られた傘は光を通すことで美しく柄が変化したり、またファッションアイテムとしても顔色をきれいに見せてくれたりと、ただの傘というだけではなく、上質なものを使うという意味でも、ファッションの一部として傘を取り入れてみるのもおすすめです。
産地のポータルサイトにも力を入れているので、ぜひ見てみてくださいね。こういったものづくりの熱量が様々な人の心に響くことを産地の皆さんは願っています。
こちらは、2019年6月24日公開の記事を再編集して公開したものです。記事は取材当時のものです。
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ciito(しいと)は糸を素材につくられた繊細なアクセサリーブランド。印象的な色合いの球体パーツで構成されたシンプルなピアスから、さりげなく耳元で揺れるデザインのイヤリングまで、色と糸の組み合わせが目を引くアイテムたちが揃います。
作り手の丹生さんは、元アパレルブランドの生産企画を担当。商品企画やデザインを通して製品作りに関わっていく中で、最後まで生産の現場に携われないことに少し物足りなさを感じるようになったそう。自分もものづくりをしてみたいと感じた丹生さんは、習い事で刺繍を始めることに。
続けていくうちに出会ったのが糸を使った「巻き玉」という、タッセルなどに使われるパーツ作り。これを小さくしてアクセサリーにしたら面白い!とひらめいた丹生さんは仕事の傍らアクセサリーを制作し始めました。
すると作品を知人のお店で扱ってもらうなど、だんだんと反響が生まれ本格的に作家活動を開始。この頃には会社の理解も得て二足のわらじで活動を続けていましたが、2015年の出産を機にciito(しいと)の作家活動一本に絞ることを決意します。
そんな丹生さんが作品作りで大切にしているのは、プロダクトとしての完成度。糸という身近な素材を扱っているからこそ、魅力ある作品作りに力を入れているのだそう。お客さまの手に届くまでの過程、パッケージなど作品の見せ方もciito(しいと)としてしっかりブランディングされています。
作品作りの楽しみについて伺うと、たくさんの糸の中から作品に使う色を選んでいる最中がとてもドキドキするとのこと。丹生さんが好きなくすんだような落ち着きのある色と、ビビットな色とを組み合わせることで、お互いの色が引き立つciito(しいと)のアイテムはコーディネートのアクセントとして色選びの楽しみを提案してくれます。
実際にアトリエにお伺いして作業風景を拝見させていただくと、あらためてその作業の繊細さに驚きました。糸を何重にも繰り返し巻きつける作業は根気がいる作業。しかし丹生さんはそんな地道な作業も苦にならないと言います。一本の糸で見ていた色が巻き上がっていくにつれまた違った色に変化する、その過程がいつも楽しくて飽きないのだそう。
もともと美術大学に通われていた丹生さん。ファッションを専攻していたので、素材そのものへの愛着は当時から培われてきたもの。ciito(しいと)の世界観を築く色の組み合わせは、ときおり足を運ぶ美術館の絵画からインスピレーションを得ることもあるそう。
お客さまには素材が糸ということで「軽さ」をきっかけにリピートしてくださる方も多く、特に重さが気になるイヤリングなどでは嬉しいですよね。素材はもちろんですが、色を選ぶ楽しみも遊び心をくすぐられます。シンプルなお洋服に差し色として使うもの素敵ですが、全体のコーディネートの中で組み合わせを考えるのもまた幅がグンと広がります。
展示会などのイベントではカラーオーダー会も行っているそうで、自分の好みの色でアクセサリーを仕立てていただくのも一層愛着が湧きますね。
現在はciito(しいと)としてある程度の定番アイテムが揃ってきたので、これからは糸と色というブランドコンセプトからは離れずに、枠を広げた創作活動を行っていきたいという丹生さん。最近始められたのはプロのフォトグラファーの方とコラボレーションをして、お客さまにお届けするフォトフレームに選んでいただいた色と、写真の世界観を活かした色の組み合わせでタッセルを付けてお届けするというサービス。
これから徐々に広がってゆくciito(しいと)の活動も要注目ですね!
こちらは、2019年4月15日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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つるんと滑らかなフォルムに美しい純白のボディ。いまにも動き出しそうな愛らしい動物のモチーフに思わず胸がきゅんとする「白磁のどうぶつえん」。やさしくあたたかな作品群は、長崎県波佐見町に工房を構える「アトリエやま」で、ある一人の職人によって生み出されていました。
長崎県波佐見町は、お隣の有田焼とともに400年以上も前から磁器を焼いてきた歴史ある焼き物のまち。その土地に数ある窯元の中でも、動物をテーマにしたかわいらしい磁器のおきものがつくられているというユニークな工房があります。
それが平成18年から続く「アトリエやま」です。今回はアトリエやまの代表であり、白磁の動物たちの生みの親である山下行男(いくお)さんに貴重なお話を伺いました。
山下さんが焼き物に興味を持たれたきっかけは、お父様が波佐見焼の窯元に長く勤められていた影響もあるそうなのですが、決定的となった出来事は高校時代にまでさかのぼります。
佐賀県の有田にある工業高校のデザイン科に進んだ山下さん。そこでデザインのすばらしさ、ものづくりの楽しさに触れます。
その後陶磁器デザイナーとして著名な森正洋氏と出会い、直接指導を受けた経験も大きなものだったそうです。田舎にいても世界的に活躍できるのだと、とても感動されたことをよく覚えているのだとか。
「若かりし時ですから、特に都会への憧れもありました。ですがこの経験が波佐見に定着する大きなきっかけとなりました」と、山下さん。
そんな山下さんが生み出すものは、とてもかわいらしい動物の作品。そこで、動物をモチーフにする理由について伺ってみました。
「理由はたくさんありますが、最大の理由は“自分らしさ”を一番表現できると思ったからです。作品を永く、そして一定のレベルのものを安定してつくるには、作者の体の中から自然に湧き上がってくるものでなければ続きません。
私の作品をご覧になったお客様から『行男さんと同じでやさしいね』とよく言われますが、作品の裏に私の顔が見えるとおっしゃっていただけるのが何より嬉しいことです」
また、山下さんがデザインするときにイメージすることは“豊かな自然の中で穏やかに、そして生き生きと躍動する”動物たちの姿。それは本質的に地球の、そして私たち人間社会の未来の姿『ユートピア』に重なるのです。
それを意識しつつ、“シンプルでモダン”、“品格(格調)”、“やさしさとあたたかさ”をデザインのコンセプトとして作品づくりをされているのです。そこで、ものづくりをする上で大切にしていることをお聞きしてみました。
「最も大切なことは、ものづくりを通し多くの人たちと喜びを共有することです。アトリエを始めてから13年になりますが、すでに1万人以上の方のもとに私の作品が届けられました。そのおひとりおひとりの重さを感じながら、それを励みにしてつくり続けています。
また、何事にも手を抜かないことも非常に大切にしています。シンプルな作品は一見簡単そうに見えますが、美しいフォルムをつくるために設計段階から原型、成形仕上げに至るまで気を抜けません。より良いものをつくることを常に意識しています」
山下さんの作品には大きく2つの特徴が。ひとつは釉薬を施した“つや有り”、そしてもうひとつは釉薬をかけないで本焼きした“つや無し”。
特につや無し(マット)作品は、最上ランクの天草陶石を使用し、成形、素焼き、本焼きの3段階においてていねいに磨きをかけたものなのです。
上品な風合いを持ち他に例を見ない作品と評価されており、家庭画報の通販カタログでも毎年採用されているのだとか。
実際に作品ひとつひとつを手に取ってみても、山下さんのまっすぐで真摯なものづくりへの気持ちが伝わってくるのです。今までにたくさんの動物作品を生み出された山下さん。中でもおすすめの作品を教えていただきました。
「まずは馬の作品です。デザインコンセプトが良く表現できた造形作品のひとつです。大草原を闊歩する生き生きとした姿、そしてたくましさの中にも穏やかでやさしさが感じられる馬をイメージしてつくりました」
「続いてとりの作品。夜明けを告げるにわとりの元気な姿をイメージし、それをぎりぎりのところまで抽象化しました。シンプルでモダンな中に、おおらかでかわいらしい姿も感じられる作品です」
本当にどの作品も愛らしく、しかしどこか躍動的で見ていて楽しくなるものばかり。一点一点見比べても、どことなく表情の違いを感じられて愛着が湧くのです。続いて実際に作品を手に取ったお客様に感じていただきたいことについて伺ってみました。
「作品に対する思いやコンセプトを感じ、お客様が喜んでもらえることが何より嬉しいです。お買い上げいただいたお客様から時折電話でご感想を寄せられますが、私の思いとぴったり一致したときは無常の喜びを感じます。
また作品においては動物モチーフをぎりぎりまで抽象化していますが、かわいらしさややさしさを表現するにはある程度の具象的表現も必要になります。抽象と具象の兼ね合いも感じていただければと思います」
山下さんがこれから挑戦していきたいことはまだまだたくさんあるのだそう!作品で言えばくじらやいるか、たこ、ふぐ、かめ…海の生き物や鳥などの空の生き物も増やしていきたいと語ってくださいました。
また、今年74歳を迎えられますが、体力の続く限り90歳まで作陶に挑戦したいととても意欲的!現在のお姿から溢れ出るその若々しさに納得です。これからのアトリエやまの活躍がとても楽しみで、私たちもわくわくさせられますね。
アトリエやまの作品は、一度手に取って見ていただくことで魅力が更に伝わるかと思います。アトリエの詳細や最新情報はウェブサイトをぜひチェックしてください。
こちらは、2019年2月25日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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千葉県は市川市、京成八幡駅から線路沿いを少し歩いた場所にある「ぷんぷく堂」をご存知ですか?閑静な住宅街で、夜の5時から開店するという一風変わった文具店なのです。扉を開けばそこにはノスタルジックでわくわくする世界が広がります。遠方からもファンを集めるちいさな文具店の魅力とは?今回はぷんぷく堂の店主・櫻井有紀さんにインタビューをさせていただきました。
入り口には“文具店は夜開く”と力強く書かれた赤ちょうちんが灯り、店名入りのレトロな自転車が一台。お店に入る前から期待が高まります。まるで絵本から出てきたような真っ赤な扉を開くと、そこにはさまざまな文具が所狭しと並び、そして店主の櫻井さんがあたたかい笑顔で迎えてくださいました。
鉛筆にノート、マスキングテープなど、私たちに馴染みのある文房具がずらり。決して広いとは言えない店内ですが、なぜか居心地が良く、ずっとお話ししていたくなるような不思議な気持ちになります。早速、櫻井さんにお店を開かれたきっかけについてお聞きしました。
「よく『文具が大好きなのですか?』とか、『文具マニアなのですか?』と聞かれるのですが、決してそういうわけではなく、人並みに好きという感じでしたね。ですが、昭和の鉛筆はなぜかとても好きで、それだけは何千本と集めていました。その鉛筆を売ろうと思ったのがお店をはじめたきっかけでしょうか」と、櫻井さん。
それも納得、店内には200種類にも及ぶ個性豊かな色柄の鉛筆が並んでいます!これらを見て、幼い頃に個人商店の文具屋に行ったときのような、とても懐かしい気持ちが蘇りました。並んでいる鉛筆はすべて一本売りで、ダースでの販売はしないのだとか。随所にこだわりを感じられるお店ですが、そのコンセプトについて伺ってみました。
「店主の目利きしたものを扱う夜の文具店、でしょうか。オープン時間のことに関して正直にお話しすると、『夜しか開いていない文具店にする!』と決めてはじめたわけではなく、以前は日中に別の仕事をしていて、文具店に割く時間が夜しかなかったので…それが理由なのです。今はおかげさまでお店一本でやらせていただいていますが、夜オープンというスタイルは変えていません」
そんなぷんぷく堂は文具メーカーとしても注目を集めています。店内には櫻井さんのセレクト文具が並ぶほか、オリジナル商品も並んでおり私たちの目を引きます。しかも思わずくすっと笑みがこぼれてしまうような面白いアイテムばかり。これらのアイデアはどんなところからやってくるのでしょうか。
「『こんな商品があったらいいな』というアイデアは、常に頭の中に5~6個風船のように浮かんでいます。例えば展示会などに行って町工場さんとお話しする機会があると、『こんな技術があるんだ!じゃあうちとこんな文具が作れちゃうかも?』と、風船がひとつ降りてきてアイデアが具体化することがあります。
デザイン画を描いたり、専門のソフトを使ったりということは一切できません。私のアイデアを形にするときは、いつも工作用紙。手に持ったときの大きさや、形、実際に自分が使うときのことを考えるとこれを使うのが一番なんです」
とても楽しそうに語る櫻井さん。そのアイデアを形にする、商品づくりにおいてのこだわりについてもお聞きしてみました。
「常に私が欲しかった文具を作っています。そして、それはほとんど私の失敗から生まれています。例えば鞄の中に文庫本を入れていると、本の間に物が挟まってしまったり、本が折れてしまったり、苦労したことありませんか?それを解消するために生み出したのがこの“過保護袋”なのですよ」と櫻井さん。
“過保護袋”はぷんぷく堂のオリジナル商品のひとつで、ジーパンのタグ素材でできたとても丈夫な袋。文庫本に限らず、通帳や振込用紙、領収書等、鞄の中で折れて欲しくないあれこれを保護してくれるアイテムなのです。続けて櫻井さんは語ります。
「このような自分の体験した失敗談や、商品ができたストーリーをお客さんに話すことで共感が生まれます。いわゆる売れ筋商品だとか、儲けを狙ったような商品はあえて作りません。例えそういったものを作っても、自分の想いが入っていないと売れないから。自分で伝えたいものづくりをした方が多くのお客さんの手に渡ってくれる、そう感じています」
そう語る櫻井さんに、お店を経営される上で大切にされていることについてもお聞きしたところ、“商い人”、つまり手から手へ売る商売をすることだとお話ししてくださいました。文具こそ自分の手から買ってほしいのだそうです。
「ぷんぷく堂は夫婦で経営をしていますが、店頭に立つのは私だけです。というのも、SNS(Twitter、facebook、Instagram、LINE@)はすべて私が運営しています。SNSの中の人として皆様に発信していますので、私がお店に立たなくては意味がないですからね。わざわざ会いに来てくれる方のためにも、そこは譲れません」
複数のSNSまでテキパキこなすお姿にとても驚きました!また、現在Amazonにてウェブショップも持たれているぷんぷく堂。そこでお買い物すると櫻井夫妻の粋な心遣いを発見できるのはご存知ですか?なんと手書きのメッセージ付きなのです。
また、毎月刊行されるというこちらの“ぷんぷく通信”も。文字は全て櫻井さん、そして左上の挿絵は旦那様が手がけられているのだとか。このウェブショップ、そして本八幡にある1店舗を大切にしたいと考えているそうで、ご夫婦からお客さんへの愛がひしひしと伝わってきます。
すっかりぷんぷく堂の持つ魅力に惹かれてしまいましたが、ここで櫻井さんにおすすめ商品をいくつかご紹介していただきました。
まずはこちらの“あなたの小道具箱”。50年は持つと言われる丈夫で頑丈な紙素材、パスコを使用し作った小道具箱です。都内にある町工場さんに頼んでひとつひとつ製造してもらったのだそう。2017年の日本文具大賞デザイン部門グランプリを受賞しました。
続いてこちらの“ミニッパチ”。小道具箱と同素材のパスコを生かしたバインダーメモです。パスコを金型でくりぬいて小さなバインダーに。65gと超軽量なのでポケットにも入れやすく、いつでもどこでも書き込める手のひらサイズのかわいらしいメモです。
そして先ほどご紹介した“過保護袋”。大切なものを鞄の中で過保護してくれる人気アイテムです。
ネーミングセンスにも驚かされる数々のアイテム、どれもすてきなものばかりです。そんなぷんぷく堂に来店されたお客様、そして商品を実際手に取ったお客様にどんなことを感じてもらいたいかをお聞きしてみました。
「夜しか開いていない文具店というのは、自分勝手な気もしていますが、それでも笑顔で帰ってくださるお客様を見るととてもありがたく、嬉しくなります。お客様がぷんぷく堂をより良いお店に変えてくれている気もしています。
ぜひ気軽に、ここに来たら何か面白いものがあるんじゃないかと、宝探しのような感じで来ていただければと思っています。引き出しを開けて、眠っている文具を探してみてください」
そうお話されるように、店内にはたくさんの引き出しが。開けるとそこから商品が顔を出し、本当に宝探し気分でとても楽しいのです!最後に、櫻井さんがこれから挑戦したいことについて伺いました。
「今まさに準備中なのですが、楽天市場で新たに公式ウェブショップを開こうと進めています。私たちはものづくりのストーリーを少しでも多くのお客様にお伝えしたいと思っています。
ウェブショップでも実店舗と全く同じように、というのは難しいかもしれませんが、できるだけひとつの商品ができるまでの過程をお伝えしたいのです。パワーアップしたウェブショップを制作中なので、もう少し待っていてくださいね」
櫻井さんのあたたかいお人柄に癒されながら、終始楽しくお話しを聞かせていただきました。普通の文具店とはちょっぴり違うぷんぷく堂。櫻井さんとの何気無い会話から生まれる、ほんわかしたムード。ここでしかできない経験もぷんぷく堂ならではの魅力なのだと感じました。
こちらは、2019年1月16日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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美濃和紙の産地、手作りの文化が根付く岐阜県美濃市で明治35年に創業した「石川紙業株式会社」。伝統を守りながらも、モダンでデザイン性の高い和雑貨アイテムを発信し続けています。美濃和紙を使ったものづくりの魅力についてじっくりとお話を伺いました。
石川紙業は、岐阜県美濃市のうだつの上がる町並みに本社とショールームを構えられています。昔ながらの古き良き町並みは、市の重要伝統的建造物群保存地区でもあります。とても美しく、どこか懐かしさを感じられるような景観に心が落ち着きますね。
美濃市は古い歴史を持つ“美濃和紙”の産地として名高い町です。美濃和紙は雑貨などの小物から、マテリアルとして使用されるものに至るまで幅広く活用され、私たちに身近な素材として親しまれています。伝統と実用性のある美濃和紙を使ってものづくりをする石川紙業。そのこだわりについてお聞きしてみました。
「まず美濃市には長いものづくりの歴史があり、私たち社員全員がクリエイターであることが強みです。50人の内職さんとともに、ひとつひとつの商品を手しごとで生産しています。日本文化を大切に、そして感性に響くやさしい和雑貨を手作りし、生きる喜びや楽しさをつくる会社です。
石川紙業の製造は、“和紙屋の手しごと文化”として、当社の歴史と地域性を大切にした生産をしています。江戸時代から和紙などの手作り文化が息づく美濃市で創業明治35年の当社は、美濃和紙の原料商や謄写版原子の製造からはじまり、民芸品から和雑貨の製造まで、美濃和紙にかかわり仕事を営んできました」
「商品開発、そして製造の強みは、長きにわたり和雑貨を手作りしてきた石川紙業の歴史文化と美濃市の手しごと文化があってこそ。それに触れる方々に平和な笑顔と幸せをつくりたいと考えています」
地域の伝統を誇り、大切にしながらものづくりを続ける姿がとても魅力的ですね。そこで気になるのがやはり商品のこと。なんと年間の取り扱い商品は1500種類、新作発表は420種類と、数の多さに驚かされます!これらのデザインアイデアは一体どんなところからやってくるのでしょうか。
「多様な加工技術を有し、独自の指導方法で高い技術力の職人を育成し、手作りの生産体制を構築しています。営業・企画・開発・製造・販売の一貫経営を通じ、お客様の声からアイデアの着想をいただいています。また社員全員がユーザーターゲット層でもあり、日常や業務からアイデアを得ることも多々あるのですよ」とのこと。
社員全員がクリエイターであるという強みは、デザインにも生かされており素晴らしいですね。また、自社ブランドの魅力や立ち上げのきっかけについても教えていただきました。
「初の外部デザイナーとともに、新ブランド『黒koku』『笑emi』『白shira』という美濃和紙ライフスタイル雑貨ブランドを発表しました。『世の中を明るく!』『和紙業界を払拭する新しいデザイン!』『私たちがわくわくする新商品!』をテーマに、フォトフレーム、ダイアリー、カードケース、ペンケースなどの製作をしています」
「これらは石川紙業オリジナル手染め美濃和紙を使ったライフスタイル雑貨で、1300年の歴史がある美濃和紙を古都京都で手染めしました。『黒koku』は“無限に広がる宇宙。日本の禅”、『笑emi』は“ほっとけないかわいさ”のアニマル柄、『白shira』は“純真無垢で潔い神聖さ”がそれぞれテーマになっています。今までに見たことがない美濃和紙雑貨として注目をいただいています」
スタイリッシュなデザインで、ざまざまなシーンで活用できそうですね。続いて、とても愛らしい表情に癒される「美濃まねき」について詳しくお聞きしました。
「こちらは美濃和紙をていねいに陶器に手貼りした招き猫です。高山をつくったことで知られる文武両道の武将・金森長近は、江戸時代人生最後にうだつの上がる町並みのある美濃市をつくりました。
開運のまち、美濃和紙の産地で手作りした開運の招き猫。小物入れにもなっていて、美しくやわらかな美濃和紙を楽しんでいただきたいです。ユーザーの皆様を開運する縁起のいい置物小物入れとして可愛がっていただければと願っています」
そう語ってくださったように、石川紙業のものづくりには作り手の想いが込められています。そこで、作品を手に取ったお客様に感じてもらいたいこと、そして「体験ショップ」の活動を通し伝えたいことについて伺ってみました。
「社会は常に変化し、時にコンビニエンス化するあまり、人は心を貧しくする傾向があるように感じます。常に創意工夫した販売、流通、発信を通して、良質な感動をつくることができればと願っています。作品を手に取って、ほっとしたり、癒されたり、笑顔になっていただけましたら、とてもうれしいです。
現在、石川紙業の手作りの技術力を用いた美濃和紙雑貨手作り体験が人気をいただいています。国内はトヨタ自動車様など社外研修、学校校外研修、ツアー旅行、観光客。海外は25か国にも及ぶ外国人のお客様が、美濃和紙の色彩と感触を体感できるアートな手作り体験を楽しまれています。私たちも、お客様の自由な表現から生まれる作品を見せていただけることが、とても楽しみです」
日本文化を大切にし、人々の感性に響く和雑貨を、その時代に必要とされる新しい可能性を模索し開発生産している石川紙業。今後はOEMやオリジナル製作に力を入れたり、手作り体験のできる直営店でのきめ細かい販売で、エンドユーザーの願いを形にした和雑貨をつくっていくことが目標なのだそう。
そして、世界中に笑顔と幸せをつくり、ファンを増やしていけたらうれしいと、あたたかな想いを語っていただきました。
石川紙業のアイテムは、実際に目で見て触れていただくことでより魅力を感じられると思います。全国で開催されるイベントや体験ショップ情報など、詳細はウェブサイトよりチェックしてみてください。
こちらは、2018年12月28日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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京都・建仁寺のすぐ近く、町家が連なる小さな路地、あじき路地。各地から集まった作家さんがそれぞれものづくりに励みながら暮らしています。今回は、そのあじき路地にお店を構え、手製本ノートや紙こものの製作、販売をされている「すずめや」をご紹介します。猫と一緒に暮らしながらお店を営む、作り手の村松佳奈さんにお話を伺いました。
お店の名の通り、すずめのスタンプがトレードマークになったあたたかみのある手製本のノートたち。どれも可愛らしく、そして手に取ると丁寧に作られたことが伝わってくる、思わずほっこりしてしまうアイテムです。そんな「すずめや」というチャーミングなお店の名前には、色々な意味が含まれているようです。
「まずすずめというのはすごく身近で、人のそばにいつもいるのに、餌やすみかを人に依存しないのです。その存在の軽やかさがとても良い救いだなあと感じていて。
日々どんな瞬間にも小さな傷つきと救いを繰り返して生きている日常の中で、いつもそばにいてさえずっていて、存在に気づくとふっと笑みが零れて、それで背伸びしてまた歩き出す、みたいな風景を作れる小さな存在であるすずめの名を選びました」と、村松さん。
また、すずめやのコンセプトの一環である「ちいさくて、いつもそばにいて、さえずっている」の由来についても教えていただきました。
「『ちいさくて』というのはそのままサイズ感のことです。製本機や裁断機でなく、手のなか腕のなかで作れるサイズのもの。それは手で書くという行為にバトンタッチするためのサイズです。手から手へ繋ぐことを大事にしたいです。『いつもそばにいて』というのもサイズから繋がって、丈夫なノート、大切に扱いたいノート、ということです。
『さえずっている』というのは、お客様の書くという行為につながります。さえずりのような小さなことでも、なんでも、その一片が確実に人生の中であったことを残すこと、わたしはそういう肯定を人に届けたくて、もったいないなんて言わないで、と言いたくて、良いノートを作ります」
そんな村松さんが手製本でノートを作ろうと思ったきっかけを伺いました。最初は豆本作りから始まったそうですが、名文ばかりで恐れをなしてしまい、物語を綴じることに申し訳なく感じるようになってしまったのだそう。
村松さんはこう語ります。
「しかしノートなら、わたしは形を作って中身を相手に委ねられます。そうやってノート作りにシフトしました。こういうマイナス思考からスタートしたんですが、でも今はわたしにしては最高の舵を切ったんでは?とにやついています。
無地のノートは、なんでも受け止めます。文章にならないような物語が、人の手に渡ってから始まるんです。とてもわくわくします。どんな子に育ててもらえるのか、わたしにはわからないけど、そういう距離感がいいなあ」
「使い手にノートを育ててもらう」、その考え方がとても謙虚で、まっすぐで、使い手である私たちもノートに向き合って文字を綴りたくなりますね。
すずめやのアイテムを生み出す上で大切にされていることは、使い手が一番触れる部分にあるのだそう。
「例えばノートの小口は手で切っています。1センチ前後の厚い紙の束をできるだけ垂直に、カッターナイフでしゅっしゅと切ります。その方がまずなめらかに仕上がります。
なぜそこをなめらかに仕上げたいかというと、使っている時に一番敏感な指先が常に触れる部分だからです。少々の凸凹が出ているものもあります。でも、その一番触れる部分に手仕事を残したいです。そこは離れてからも繋がっている部分かもしれないですから」
また気になるのが職住一体の暮らしについて。作ることが大好きで、ずっと作り続けてしまうことが良くも悪くもと思っています、と村松さんは語ります。お店の方ばかりになってしまうので、ねどこの方にも目を向けなければ…と職住一体ならではの大変さも教えて下さいました。
ものづくりへのこだわりを持ち、そしてとても人間味溢れる村松さん。今後新たに作ってみたい商品やこれから挑戦して行きたいことについて伺いました。
「今後はちょっと作家性といいますか、表現にも手をつけたいと思います。一点ものの表紙を製本家として仕上げていきたいなと、挑戦してみています」
それから京都という特殊な土地柄、その土地の魅力に負けないような伝え方や売り方を模索したいのだそう。
最後に、村松さんから素敵なメッセージを頂戴しました。
「例えば昔に書いたメモの切れ端を見つけて、当時の記憶が蘇ったことはありませんか。辛いことも楽しいことも、たくさんあったことをぶわっと思い出して、でもその時あなたは微笑んでいませんでしたか。大は小を兼ねると言いますが、小さな連なりの連続が大げさに言うと人生だと思うのです。
『何書こう、もったいない』なんてそんなことないんです。何を書いてもその後見返したあなたは微笑んでいると思います。そういう時間をわたしはあなたと作りたいです。
何を書いてもいいように、ノートは無地で作ります。丈夫な硬いやつも、優しく扱いたい軟らかいやつも揃えています。良いノートに、いつか微笑みに変わる種を残してください。種を食べてすずめは大きくなって、いつかそれがとても愛しいものとなりますように」
村松さんのあたたかい人柄がそのままノートというものに投影されたような、思いやりに溢れたすずめやの商品たち。ふと思いついたことを書き留めたり、日記として活用してみたり。すずめやのノートを開けば、何でもない日々があなただけの物語になるようなわくわく感でいっぱいになるはず。
村松さんの丁寧で真摯な手仕事により生まれたすずめやの手製本ノートを、ぜひ実際お手に取って触れて感じてみて下さい。店舗のオープン情報や各地で開催されるイベント情報は、WEBサイトよりチェックして下さい。
こちらは、2018年9月5日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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真っ直ぐな視線と長い髭が愛らしい「ねこ」。湯気の立つホットコーヒーのまわりにビーンズが散りばめられた「ひといき」。洋風で小洒落たカラーが美しい「アーガイル」。どれもこれも魅力的なデザインばかりですが、みなさんこれが何だかわかりますか?実はこちら、日本の伝統技術である西陣織・つづれ織を使って作られた和小物たちなのです。
昭和28年、京都府・西陣北野にて製織業を始めた老舗「あだち」。京都最古の花街、上七軒の大変趣のある街並みの中で、静かにお店を構えられています。起多乃綴と名付けられた伝統あるつづれ織物を生み、その格式高い技術を継承しながらも現代に新たな風を吹き込み続けています。
着物や帯をはじめとし、和小物や洋装小物に到るまで、粋なデザインに心が惹かれるアイテムたち。今回は株式会社あだちの代表取締役社長であり伝統工芸士の名も持つ足立敏さんに、詳しくお話を伺いました。
そもそもつづれ織とはどのような織物なのか、足立さんに教えていただきました。つづれ織は織物の種類で言うと、縦糸が1に対し横糸も1という単純な平織組織から成っています。それにもかかわらず、織り上がった表面は横糸しか見えないという特殊な織物なのです。そして西陣織りの中でも軽くて丈夫であるという、なんとも実用的で魅力的な一面も。
また、古くから縦糸は「芯糸」と呼ばれており、神の糸・心の糸として敬われていたそうです。そのため西陣織・つづれ織は神や心を包み込む織物として、人々から大切にされてきたと言われています。これを知ると古の日本の美しい感性がふっと蘇ってくるような、不思議な気持ちになりますね。
ここ上七軒から届けられる歴史あるつづれ織りの地名度はまだまだ高くありませんが、多くの方に手に取ってもらい良さを分かっていただけたら嬉しい、と語る足立さん。
西陣織・つづれ織という伝統ある技法を用いたアイテムを作ろうと思ったきっかけは、初代・峯陽氏が西陣で創業したものを受け継ぎ、またそれらを伝承していくためなのだそうです。
お店の中には、見る者の心をがっしり掴んで離さないカラフルで可愛らしいデザインのアイテムたちがずらり。あれもこれもと目移りしてしまいます。私たちが持つ和小物の古風なイメージとは少し違っているのではないでしょうか。とてもモダンで、新鮮に感じられます。
これらの商品デザインへのこだわりは、ポップなものから伝統的なデザインのものまで幅広く採用し、手に取る方々が楽しんで愛用できることなのだそうです。確かに、心が弾むカラーリングと粋なデザインで、持っているだけでハッピーになれそうです。
また、デザインだけではなくつづれ織ならではの軽くて丈夫な手触りも是非感じてもらいたいそう。使っていくうちに手に馴染んで行く経年変化も楽しめるので、味のある一品として長く大切に愛用できるのも嬉しいですね。
そんな伝統と新しさをミックスさせた、独自の商品を開発されているあだち。今後新たに作ってみたいアイテムについて伺ってみました。
現在考えているものとして、札入れと名刺カードケースでしょうか。本物にこだわった手織りのつづれ織で、なおかつ本金糸とプラチナ糸を使用した逸品ものを作りたいです、と足立さんは語ります。老舗こだわりの逸品、とても気になります。
最後に、今後の展望や挑戦していきたいことについて伺ったところ、フランス・リヨンのお話をしてくださいました。
10年前に昔の織物の町、リヨンに行って感じたことがあります。リヨンと西陣は歴史的に深い結びつきがありますので、夢ではありますが、リヨンに店舗を持ってみたいなと思っています、と足立さん。
日本に古くから根付く美しい感性、そして西陣織・つづれ織という伝統技術を大切にしながらも、常に新しさを追求するあだち。それが世界へと羽ばたいて行くことを想像するだけで、とてもわくわくして今後も目を離せません。
こちらは2018年8月30日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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石川県金沢市で20年以上、手作りの腕時計を作っているシーブレーン。その腕時計と出会ったのは、都内のとあるセレクトショップでした。繊細に折り重なった和紙の色合いと、日本人の感性に訴えかけるデザインを見て、一目で気に入りました。そのシーブレーンの腕時計ブランドのひとつ「はなもっこ」について、詳しくお話を伺いました。
腕時計を作るきっかけとなったのは、石川県の中学校の技術・家庭科で使われる教材を学校に納入する会社を営む中で、自分が企画・製作した教材で作ったものを、中学生達が抱えるように大事に持って帰る姿に感銘を受け、全国のいろいろな世代の方に楽しんでいただけるようなものづくりが出来たらどんな素晴らしいだろうと考え至ったことから。
その頃、ハンドメイドで腕時計を作る方に出会い、作り方を教えてもらったことをきっかけにシーブレーンならではの腕時計製作がはじまりました。身に着ける方が最後のアレンジを自分自身でできるような、ひとりひとりの個性を表現できる腕時計を目指しています。
「はなもっこ」では日本の伝統を取り入れた時計を製作していますが、その生い立ちは、美しい色をテーマに考えていたところ、ふと漆の黒と朱色を思いつきます。何とか文字盤にその色を取り入れることは出来ないかと、塗っていただける職人さんを探していたところ、自社スタッフ(日本画を学び、自身も日本画家)が日本画で使用する「岩絵の具」を和紙に塗り、何色か見せてくれたのだそう。
それが実に美しくとても新鮮で、受け継がれてきた歴史や背景を含め、奥が深く興味が尽きない素材でした。結果的に「漆」と「岩絵の具」の2種で文字盤の試作を重ね、「はなもっこ」というブランドが生まれました。
最近では金箔や和紙の良さを十分に引き出した「紋切」という文字盤も製作しています。最初に伝統文化や工芸の技術を生かそうと思って製作を始めたのではなく、自分たちが考える美しい腕時計とは何かという追求心から、たまたま魅力を感じ使用したものが、伝統的で歴史のある技法であったり、伝統工芸の素材だったのだそうです。
時計を作るうえで特に大切にしていることは、主張しすぎないこと。私たちが作り続けている時計は、身につけていただく方々によって、かわいかったり、やさしくみえたり、カッコイイ時計であったりと、様々な顔を持ちます。最後の製作者は、ご使用いただくお客さまだと思っています、とのこと。
「はなもっこ」の時計を手にしたお客様には、やさしい気持ちでゆったりと時を楽しんでいただけたらという思いがあるそうです。身につけると何故だかホッとし、思わず笑みがこぼれるようなそんな腕時計であったらいいなと語ってくださいました。
「はなもっこ」シリーズでは、漆の透き通るような独特の艶や、螺鈿の魅力、鉱石等を砕き作られた「岩絵の具」の天然の色、千年の昔から日本人が慈しみ伝えてきた美の感性を日々の生活の中で、文字盤を見ながら時空を超え共感し楽しんでもらえたら嬉しいそうです。
これからの抱負について伺うと、まだまだシーブレーンの時計の存在を知らない方がたくさんいるので、もっともっと多くの方々にシーブレーンの腕時計を身につけていただき、それまで知らなかった、永きに渡り受け継がれてきた日本の美や繊細な技法に触れて幸せな気持ちになっていただくことを目指したい、とのこと。
また日本の人々だけでなく世界中の人々に愛用していただき、日本人の美しく優しい感受性を楽しんでもらいたい、とお話ししてくださいました。
「はなもっこ」を始め、シーブレーンの腕時計はWEBサイトでも購入が可能ですが、実際に目にしてもらうとその繊細な美しさが一層伝わるとおもいます。ぜひ各所で開催しているイベントに足を運んでみてください。詳細はWEBサイトをチェックしてください。
こちらは、2018年6月15日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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「服で人を驚かせたい、でも美しくありたい」と語るPOTTENBURN TOHKII(ポッテンバーン トーキー)のデザイナー中島トキコさん。私が初めてその洋服を目にした時は、「なんだか変わっていて気になるな」と一目で惹きつけられました。ポップでありながら、洗練された洋服たちはどのように生まれるのか。お話を伺ってきました。
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圭秀窯の作品はあたたかみがあり、手になじむ器。どんな食卓にも似合い、日常をちょっぴり豊かにしてくれるような、そんな魅力があります。福岡の小石原の自然豊かな土地で、生まれる器たち。作り手の梶原久さんは33歳とお若いながら、精力的に作陶に打ち込んでいます。
さっそく梶原さんに圭秀窯の器の特徴について伺いました。
「東峰村には他には珍しく高取焼と小石原焼が存在します。先代、そして私自身陶芸を学び修行したのが高取焼です」
「高取焼の薄さと『綺麗サビ』と呼ばれる鉄さび分の入った釉薬を生かした飴色と、小石原の伝統である飛び鉋や刷毛目を生かした高取焼と小石原焼を融合した器を提案しています。小石原焼のようにはっきりした模様は出ませんが、料理を生かせるようシンプルに仕上げています」
梶原さんは18歳のときに陶芸の道に入り、15年ほどになります。東峰村の高取焼の伝統を活かしながら、日々新たな小石原焼を生み出しています。
圭秀窯らしい伝統を大切に想いを込めた親しみやすい器を作りたい、とおっしゃる梶原さんのアイデアソースのひとつは、器を手にとってくださったお客さまの声だそう。
「ありがたいことに器を使い感想をお客様から聞く機会が多いです。嬉しい言葉、改善してほしい点、そして提案。私達から日々の食卓が楽しくなるよう提案をしていますが、いろいろな方の声や想いを聞くことで新たな考えが生み出されることが多いです」
圭秀窯の器は料理の引き立て役にと考えて作られています。シンプルで使いやすい所が魅力でもあります。
「一般の家庭の場合女性の方がお料理をすることが多いと思うので、薄く軽く作ることで洗いやすく、形を工夫することで収納面にも配慮をしています。固定観念にとらわれず日常のスタイルに合わせて大きさも工夫しています。
昔ながらのものを若い方にも使ってもらいたいという願いも強いので、子どもの頃から箸置きを使ってもらいたい。女性や子供たちもワクワクするようなかわいいデザインからシックなものまで幅広い種類を作っています」
その他には、いま女性に人気の豆皿なども作られています。
「食卓にかわいらしさや癒しを感じてもらいたいと思い、いろいろな種類の豆皿も提案しています。また、塩壷や管理しやすいお櫃など日々の暮らしに何気なく在り使いやすく親しみやすいものを考えています」
日々の生活で親しみ楽しんで器を使ってもらうことが喜びですと梶原さん。手にとっていただいたお客さまにはあたたかい気持ちになってもらいたいそうです。
「お客さまに見てもらうときには仕上がっている器です。器が仕上がるまでに土づくり、作陶、削り、素焼き、釉薬かけ、本焼きと様々な工程をすべて手作業で行っています。とても時間がかかりますが、お客さまの手に届いたとき器に込めた時間や想いが伝わってくれると嬉しいです」
これからもずっと変わらぬ思いで、自分たちらしく圭秀窯らしく、お客さまと一緒に器について日々考え楽しんでいきたいそうです。
また伝統のものづくりに携わる立場として、子供達にも伝統や手仕事の良さを知ってもらいたいと梶原さん。
「我が子が生まれてからはこどもたちに向けての器も試行錯誤しながら作りました。使いやすさだったり用途に応じた大きさや形だったり、カップに関してはわざと大きめのサイズにしてなおかつ湯呑にしました」
「子供たちの小さな両手で包み込むようにして持たないといけない大きさと形です。両手で持つことで物を大切に扱ってもらいたいという願いを込めました。
壊れてしまうからもったいないではなく、親と一緒に同じ陶器を持つことで、子どもたち自身が認めてもらっているという気持ちをはぐくんでもらい、万が一壊れたときも大切にしないと壊れてしまうという心が育ってほしいと願っています」
あたたかい想いがこもった圭秀窯の器たち。ぜひ食卓に迎えてみてはいかがでしょうか。これからも日常に寄り添ったその作品に期待です。
こちらは、2017年6月5日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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石川県の伝統工芸「二俣和紙」を使った儚げで、神秘的なアクセサリーを作り出す「Jul(ユール)」手漉きの和紙で丁寧に仕上げられた作品は、身に付ける人が思わず笑顔になるような魅力があります。ひとつひとつ想いを込めて製作されたアクセサリーは、素材の美しさを存分に活かし、伝統工芸の新たな息吹となっています。
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手織りの生地で作られた素材感が可愛らしいtrois temps (トロワ トン)のバッグや小物。すべて手作業で行われる手織りには素材の良さを引き出す魅力がありました。本当に欲しいものってなんだろうと考えたときに、大量生産では作ることができない、ひとつひとつ表情のある生地がこころに語りかけてくるような、そんなあたたかなプロダクトです。
trois tempsとはフランス語で「3拍子」という意味。素材・デザイン・商品、trois temps・商品・お客様など「3」のバランス良い調和により、更に新しいものが生まれてくる楽しみを考えつつ物作りをしています。
さっそくデザイナーの藤野 充彦さんにお話を伺いました。
藤野さんは元々は服飾デザイナーとしてご活躍されていて、独立と時を同じくして手織りに出会い、その魅力にとりつかれたそうです。
今まで携わってきた工業的なものづくりでは、良いものがあってもいろいろな制約から製品化できなかった商品、アイデアがあり、それはデザイナーとしての悩みでもありました。
「手織りなら1個から作れるじゃないですか、自分が作りたい生地がすぐ作れる。それが魅力的に感じました。手織りの良さっていうのは、今の時代に逆行しているかもしれないですけれど、1個から作れて、本当に欲しいものが作れること。本当に欲しいものがタイムリーに作れるんです」
ひとつひとつ手織りをするというのは手間のかかる作業。だからといって、手間をかけたから必ずしも良いものだということではなく、手間がかかる手織りだからこそできる品質の良さや、性質の良さがあるのだそうです。
「今までのバックグラウンドを活かして、手織りの生地で洋服を作ろうかとも思ったけれど、生地もたくさん必要で、無駄も多いし、現実的じゃない。やっぱり人の手に渡って使ってもらえるものをと考えた時に、バッグなどの小物に行き着いたんです」
6年目を迎えるtrois tempsは、常に新しい生地やデザインを生み出しています。
「ものづくりが成熟してしまっている業界なので、合理化しているところから逆行して、もう一度良いものを作るところから見直したいなという想いでブランドを始めました」
「心がけているのは、まず見たときに良いなと思ってもらえること。ものとしての良さが伝わることを一番に考えています」
手織りというと歴史があったり、敷居の高いイメージがありますが、良い意味で手織りらしくない、現代に合わせたものづくりを目指しているのだそう。
「見た目の良さとか、かわいさを大事にしています。時代に合わせて、お客様に手にとっていただけるものがまず一番。まず目に留めてもらう、たまたま通って『お、いいな』と思ってもらえるところから、結果的にこれは手織りなんですよという物語がついてくればいいんです」
良いなと思ってもらえるのは、機械では出せない独特の風合いや素材感がひとつのきっかけでもあるという藤野さん。最終的には手織りの良さにたどり着くのですね。
「手織りのちょっとした不揃いが心地よいんですよ。そこが機械で織った冷たい感じというのと違うところ。手織りにしか出せない、いい意味で不揃いなんです」
商品を手に取ったお客さまにはどんなことを感じてもらいたいのでしょうか。
「一番思っているのが、楽しくなるということ。いいものを買ったときって毎回それを使うのが楽しみじゃないですか。それを一番長持ちさせたい。買ってよかった、毎回持つとき楽しい、これを持って出かけたいという気持ちを大切にしています」
なので、シーズン毎に商品をガラッと変えないことを心がけているそう。自分たちが良いと思って作っているものだから、良いものはいつだって良いものだというスタンスでものづくりをしています。
これもお客さまに何年も楽しんでいただきたいという気持ちから。
また、デザインもあえてシンプルに作ることを心がけているそう。
「カバンも試着してみたり、持ってみたらあれ?ってならないように、デザイン的に行き過ぎないようにしています。モノとしてのデザインの完成度を上げちゃうと、人と喧嘩しちゃうので。持った時に完成するというのを目標にしていますね」
展示会でもお店でも、なるべく鏡で合わせてみることをお勧めしているのだそう。その時にお客さまに喜んでもらえるのが何よりの喜びなのだとか。
なので、シンプルでどこにでも持っていける、デイリーに使えるものが多くラインナップされています。
今後はあのほぼ日手帳とのコラボで世界が広がったように、いろいろな可能性を広げていきたいそうです。
「まずは続けていくことが一番大事。僕だけの活動で終わらせたくないので。トロワ トンというブランドとして、布を使ったもので世界を広げていきたいなと思っています。いろんな専門的な人と組んでやらせてもらえるといいなと」
現在も精力的にいろいろな分野の作家さんとコラボ商品を作っているtrois tempsですが、これからの広がりが気になりますね。
こちらは、2017年4月25日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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世界自然遺産、屋久島にて夫婦で活動する「島結(しまゆい)」。ガイドツアーを行う傍ら、屋久島産あごだしを使用した商品の展開も。今回は島結オリジナルブランド「SHIMAYUI LABEL」の商品開発を担当されている、笹川美貴(ささがわみき)さんに貴重なお話を伺いました。
息を呑むほどの美しい景観、そして多種多様な動植物が共存する環境。豊かな自然に恵まれ、悠久の時を感じられるような特別な場所、それが屋久島です。
今回取材させていただいたのは、「屋久島という地で、人と人を、人と自然を、結び逢わせる」をコンセプトに、夫婦で精力的に活動されている島結(しまゆい)。ガイドを担当するご主人の健一(けんいち)さん、オリジナルブランド「SHIMAYUI LABEL」で商品開発を担当する美貴さん。まずは島結の活動への想いを聞かせていただきました。
「モットーにしているのは、屋久島を3度楽しんでもらうことです。屋久島を知って、屋久島に来ていただき、家に帰ってからも屋久島の食を通して屋久島を楽しんでいただく。そしてまた、屋久島に帰ってきたくなる。何度も楽しんでいただける屋久島を目指して日々奮闘しております」
ここで気になるのは、東京出身である笹川さん夫妻がなぜ屋久島で活動を始めたのかということ。それはご主人・健一さんのある行動に端を発します。
東京でサラリーマンとして働いていた当時。忙しくも充実した日々を送っていましたが、健一さんは「本当にこれでいいのかな?」「若いうちしかできないこともあるのではないか?」という思いを抱き、脱サラを決意します。ずっと憧れであったカヤックや自然の中でのガイド、ゲストハウスの運営…それらを学ぶために選んだ場所こそ、海も山も川も身近にある屋久島だったのです。
その後健一さんはガイド修行のため単身屋久島へ。なんと、美貴さんと入籍してまだ1週間だった時なのだそう!それから1年後、美貴さんを屋久島に呼び本格移住し、2012年より島結がスタートしました。
東京とは真逆と言って良いほどの環境。美貴さんは島に住むまで魚を触ったことが無かったといいます。そんな美貴さんが商品開発をしているのが、屋久島産のトビウオを使用した島結オリジナルブランド、SHIMAYUI LABELです。
ボトルにお好みの醤油を入れて完成させるだし醤油の素や、焼きあごだしの塩、手軽につまめるおかき、そしてなんと猫用のふりかけまで!あごだしの良さを余すところなく引き出した商品ラインナップです。続いて、美貴さんがSHIMAYUI LABELを立ち上げるまでのストーリーを聞かせていただきました。
「私が移住してすぐに働かせていただいた『くんせい屋 けい水産』で、お魚について学ばせてもらったことがブランドを始めるきっかけになりました」
当時、漁師の友人が持ってきたという規格外の小さなサイズのトビウオ。見た瞬間、それを使って商品を作ってみたい!と気持ちが高まったのだとか。
「屋久島のトビウオは日本一の漁獲高なんですが、東京に住んでいた時には実際にトビウオを食べることはあまり知られていませんでしたし、あごだしがトビウオのだしだということすら知りませんでした。そして屋久島では、トビウオを刺身か一夜干し、さつま揚げの方法で食べており、だしとして使う文化がほぼありませんでした。」
「屋久島の美味しいトビウオをもっと多くの方に知っていただきたい。そんな気持ちで商品を開発し、たくさんの方に支えていただきながら屋久島産あごだし商品の販売を開始することができました」
SHIMAYUI LABELのものづくりは、美貴さんのこだわりがたっぷり。製造は全て手作業、そして無添加。さらには屋久島産の海塩が使用されています。
「トビウオを1匹ずつ丁寧にさばき、炭火で焼くことで臭みをなくしてより食べやすくしています。魚食離れの昨今において、魚を気軽に食卓で感じていただける商品作りを心がけています。美味しい無添加の調味料があれば、素材そのものも美味しく感じる。屋久島の食に触れて、そう感じることが多々ありましたので」
素材を生かしたSHIMAYUI LABELの商品。実際に編集部でも、「屋久島だし醤油の素」を仕込み食べてみましたが…旨味が凝縮された美味しさにびっくり!屋久島のもう一つの特産であるサバ節とミックスさせていることで、より深みのある味わいに仕上がるのだそうです。美貴さんの情熱が伝わってきますね。
最後に、これから挑戦したいことについてお聞きしました。
「もっと多くの方に屋久島の魚を身近に感じてもらえるような、新しい商品を開発していきたいです。『お魚ってこんなに美味しくて、簡単に食べられるんだ』『屋久島にこんな美味しいものがあるなら、行ってみたいな』と思っていただけるよう、島外へ発信し続けていきたいと思います」
また、現在トビウオ加工場の隣に一棟貸しのゲストハウスを準備中!森に囲まれた場所で、トビウオ加工を近くで見ていただきながら、ゆっくり過ごしていただける空間作りを目指しているそうです。楽しみですね。
屋久島の魅力を独自のスタイルで発信する島結。今後の活躍からも目が離せません。ぜひチェックしてください。
]]>記事は取材当時のものです。
ある日、セレクトショップのショーケースの中にすてきなピアスを見つけました。素材はガラスで、光を反射してきらきらとするさま、またその透明感に惹かれて店員さんに話を聞くと、テーブルウェアで有名なHARIOが作っているガラスアクセサリーですよ、とのこと。ひとつひとつ手作りされているというそのアクセサリーに興味が湧き、工房を訪ねさせていただきました。
2013年10月に開設された「HARIOランプワークファクトリー」は、HARIO創業者の柴田弘さんの「1921年創業時からの手加工技術の継承」という夢を実現させたもの。
茨城県に大きな工場を持つHARIOは現在機械化が進み、手作業の職人さんの姿も少なくなりました。そこで再び原点に立ち返り、HARIOランプワークファクトリーを立ち上げることで、手加工の技術を次の世代に残すため、ガラス職人の育成にも力を入れています。
HARIOランプワークファクトリーは日本橋にある、レンガの外壁がノスタルジックな工房兼ショップです。
それにしても、なぜ東京に工房を作ったのでしょうか。所長の根本さんにお話を伺いました。
「茨城の工場に職人の手加工の工房はあったのですが、立地的に人が集まりにくいのと、なかなかそこに住んで長く仕事を続けてくれる人がいなかったので、まず東京に作ろうという話になりました」
東京から始まり、現在(2017年3月)では全国8カ所に拠点があるそうですが、メーカーとしての生産量を安定させる目的の他に、地方創生、雇用の創出の役割も担っているのだとか。
「一番初めに北海道の上川町の役場の方と縁があったのですが、女性のパート仕事は冬は自宅待機の方が多いそうで、そこでランプワークを冬の仕事としてぜひやってみたいと町長さまから言われ、HARIO が設備的な部分を協力し、地元の人への技術指導も行い、工房設立に至りました」
東日本大震災で避難区域となっていた福島県の小高にも工房がありますね。
「小高は去年の夏に避難解除されたのですが、夢のある仕事、女性の方が集まり楽しくできるような仕事をというお話があり、ここも一から工房を作ってスタートしました」
地方創生、雇用の創出も行っている、すばらしい取り組みです。ただ企業としてはそれだけではないと根本さんは言います。
「職人さんの仕事を継続して作っていくことで、職人さんの技術も伸びる、技術が伸びることで新しいデザインが生まれる、新しいデザインをお客さまに喜んでもらえる、それがビジネスになって、また職人さんの仕事ができる、といういいサイクルができる。それこそがメーカーが携わっている意味だと考えています」
HARIOランプワークファクトリーはこのモデルを2014年グッドデザイン賞(GOOD DESIGN AWARD)「ビジネスモデル・ビジネスメソッド」の分野に「職人の仕事をつくる」というテーマとして提出し、グッドデザイン賞2014を見事受賞します。
ショップの横はガラス張りになっており、職人さんたちの作業の様子を見ることができます。バーナーの「ゴーッ」という音が響くなか、若い女性が多く働いているのが印象的でした。
作り手として働いている方は社員の方が2名、あとは技術を持ったランプワーカーがシフト制で働いているそうです。自分の加工技術を活かして、ここに来て仕事をし、さらに技術を伸ばすことができるのです。
「一度中国に製作を依頼したことがあったのですが、丸が楕円になってしまったり、なかなかうまく作れなくて。その点、日本の女性は繊細な作業に向いているのか、とても上手に作ってくれるんです」
「日本人の気質が活かされているのか、ガラス職人さんたちはそれなりに楽しいと思って黙々と作ってくれています。楽しんでやってくれているのは嬉しいことですね」
ガラスというのはアクセサリーには珍しく、オープン当初から人気が高かったため、今ではHARIOランプワークファクトリーの主力商品となっています。
「ガラスという素材の先入観なのか、お客さまも結構「夏に良いわね」という意見が多いんです。でも1年中つけていただきたい。うちは無色透明でやっているので、自然に身につけていただけるのが良いところだと思います。服や人を選ばずにつけていただけるデザインというのが特徴でもありますね」
空気の透き通った冬にニットと合わせてもすてきですよね。ガラスの透明感と光が交差してきらする様子は、いつ見ても美しいもの。
「磨いたりせず、ガラスの素材を形にするのがひとつの特徴なので、宝石などに比べると、ガラスそのものの素材感が活かされていると思います。光の反射がきれいなので、華やかさと価格を考えれば新しいジャンルのアクセサリーになるかなと考えています」
また熱に強く加工性に優れた耐熱ガラスを作るメーカーは国内にHARIOしか残っていないのだそう。
「国内でガラスを溶かして耐熱ガラスを作っているというのはHARIOだけなんです。その特徴、加工性がいいという特性を十分に活かしてアクセサリーを作る意義が僕らにはあると思いますね」
元来の得意分野を生かして、新しい価値を創出する。HARIOランプワークファクトリーの挑戦はこれからも続きます。
「いろいろな方のお手元に届くように。まだまだこれから販売の方はもっと力を入れてやっていかないといけないです」
「お客さんが喜んで買ってもらえるものがないと、いくら技術があっても仕方ないので。お客さんが喜んでもらえるものを作っていくというのが原点ですね」
手しごとを守るために生まれたHARIOランプワークファクトリーは、ビジネスモデルとしても優れた役割を持っていました。これからも職人さんたちの手しごとで生み出される作品の数々に注目していきたいですね。
こちらは、2017年3月21日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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革本来の強さやしなやかさを生かし、シンプルなデザインながら機能的な作品を生み出すレザープロダクトのブランド「.URUKUST」(ウルクスト) デザイナーの土平 恭栄さんが作りだす作品には「シンプルに暮らすことの心地よさ、豊かさ」が込められています。作品づくりをされている横浜の工房兼アトリエでお話を伺ってきました。
.URUKUST(ウルクスト)を立ち上げたのは2011年。それまで土平さんはインテリアデザインや建築、家具などの勉強をし、様々なジャンルを扱うプロダクトデザインの会社に入社。実はレザークラフトは中学生の頃からずっと続けていたけれど、まだ仕事にするつもりはなかったのだそう。そこでたまたま会社で立ち上がったバッグのブランドで、元々知識もあったためブランドを担当しバッグ作ることになりました。
バッグ作りは好評で、自分自身も楽しかったけれど、元々独立したいという目標があったため、25歳でプロダクトデザイナーとして独立。木や革のプロダクトを始めたが、なかなか軌道に乗らず悩んでいる時に声をかけてくれたアパレルの会社に、ブランドごと入ることに。
そこでもやはりアパレルの会社、プロダクトよりもバッグの方が売れるということで結局バッグのブランドとして仕事をするようになったのだそう。
プロダクトデザイナーを目指してきたけれど、結局バッグに辿り着いてしまう。もしかしたら、自分はこっちが向いているのかもしれない、と土平さんは考え始めます。再び独立を目指し、仕事をしながら夜は職人さんについて、レザークラフトを勉強し直したそうです。
「アパレルメーカーにいたときには、春夏・秋冬で展示会があって、そこにコレクションとして新作を出していくけれど、もう次のシーズンには前の作品は無くなってしまう。考えたデザインが基本的には半年の命、一生懸命考えたデザインがそうして消費されていくことが自分には合いませんでした」
土平さんは言います。
そこで今度こそ独立するのだったら、長く使ってもらえるものを作りたい、定番として一個のものを、ものすごくよく考えて作ろうと決めたそうです。
ものがたくさん溢れている中で、どうしたら買ったお客さまに長く使ってもらえる、愛着を持ってもらえるものになるだろうと考える中で、土平さんはレザークラフトキットを思いつきます。
キットで販売すれば、買った人がちょっと簡単でもいいから縫うことで、もう自分のものになる。普通に買ったものより愛着も生まれるし、そうすれば長く使ってもらえる、と考えます。
お客さまに長く使ってもらえる、愛着が生まれるキットの製作を思い立ち、自分で「作る」をコンセプトにブランド名を考えます。いろいろな言葉を探す中で、やはり日本でものづくりをしているのだから日本語がいいと思い、ある日ふと「作る」を逆さにしてみた「.URUKUST」を思いつきます。
言葉の響きも東欧とか、ドイツの感じがして気に入ったほか、最後のSTというのがArtistだったり、職業の名前につく語尾なので、「ものづくりをする人」といった意味合いも込めて決めたそうです。
「形や見た目を格好よく作るのではなくて、何か問題があってそれをどう解決するかというのがデザインだと思います」と土平さん。
だからキットも初めて作る人が簡単に、できれば3〜4時間くらいで作れる形っていうテーマを前提に、完成形を近づけていく。特に最初に形はあまり決めないのだそう。試行錯誤を重ねてデザインが出来上がっていく、それが結果面白い形になるのだとか。
.URUKUST(ウルクスト)の機能的な作品の数々は、「問題を解決するデザイン」から生まれていたのですね。
まずはじめにパソコンで型紙をざっくり作って、プリントアウトして紙の段階で最低10回はやり直します。調整を繰り返して、やっと革の段階へ。そしてそこから微調整をかけていくことで、ひとつの作品が出来上がるのですが、土平さんはこの段階に非常にこだわります。デザインから作るのではなく、機能から作るというイメージでしょうか。
「お財布にしてもそうだけれど、お札とカードと小銭を入れる使い勝手というのは、とても重要な道具だと思うんです。だからどうしたらお札とカードと小銭が一緒に見ることができて煩わしくないかということを、まず考えますね」
「先に見た目を決めてしまうと凝り固まったものになってしまうから、なるべく柔軟に考えたい。固定概念に縛られないように、世の中にあるお財布のなんとなくこういう形というのも、まずもっと前の前からスタートしようと考えます。そうした方がオリジナリティがあるものが生まれると思います」
「お財布などに限らず、最近機能がいいものがどんどん出ているというか、どんどん便利なアイテムが増えているじゃないですか。カードがずらっと並んで、ポケットがこんなにありますとか、そういうお財布っていっぱいありますけど、本当にそれが使いやすいのかなって私は思ってしまうんです」と土平さん。
「暮らしにおいても、いま私はお皿でもコップでも持ち物を最低限にしようと思っているんです。増やしたくないというか。でも例えばこのコップはコップとしても使えるし、ちょっと漬物などを入れるグラスにもなるような、どっちにも使えるようなものを極力選んで暮らしています。でもその一個はものすごく気に入ったものにしたいんです」
シンプルに暮らした方が、空間もスッキリするし、豊かに暮らせる。土平さんは言います。そしてその考えは、土平さんのものづくりにも実践されていました。
「.URUKUST(ウルクスト)の作品もシンプルに作っているので、バッグも一応最低限ポケットは付いてますけれど、このバッグにはファスナーが付いていなくても良いんじゃないかなと思って」
「一個のものはすごく好きなもの、お皿一個にしてもものすごく考えて買うんですけれど、増やさない。適当なものは買わない、気に入ったものを少しだけ、そんな価値観の方に共感してもらえると嬉しいですね」
.URUKUST(ウルクスト)のバッグの特長は、持ち手とボディのつなぎ目に金具が使われていないこと。それでいてデザイン的にも洗練され、かつ軽いバッグが出来上がっています。.URUKUST(ウルクスト)で作っているオリジナルの革はすごく丈夫なのだそうです。なので金属の力を借りなくても、革だけで十分強度がある。しかもただ繋げるだけでは面白くないので、パーツの細部にもこだわってポイントにされています。
まずパーツから考えることも少なくないのだとか。持ち手のパーツをまず考えて、そこから全体の形を考える。小さいディティールとかパーツを考えるのが楽しいし、好きなのだそう。なのでここでもやはりデザインよりもその目的や機能性から考え抜かれて作られているところが.URUKUST(ウルクスト)の特徴と言えますね。
土平さんいわく、「あまりにも便利な方ばかり考えていてゆとりがない。便利にみんな引っ張られがちな気がする」と。
よく何の革ですか? と聞かれますが、牛革としか言いようがないんですけどね…、と笑う土平さん。実は.URUKUST(ウルクスト)の革は国内でオリジナルに鞣された植物タンニンなめし100%の革なのです。厳密に説明すると、オイルをちょっと入れて、シボはあまり立たせず、でもつぶしすぎず、柔らかさも少し出している革、だそうです。
アパレル会社に勤めている時代から憧れていた植物タンニンなめしのタンナーさん(革を鞣す職人さん)に独立して初めて話をしに行った時は、全然相手にされなかったのだとか。名刺すら受け取ってもらえず悔しい思いをしたことも。結局タンナーさんとまたお話しする機会があった時に「なんだ、革のことわかってるじゃん」と見直され、今では良いお付き合いが続いているそうです。
現在では、植物タンニンなめしとクロムなめしという2つが主流なのだそう。その中でも、使っていくうちにいい表情が出てくるというのは植物タンニンなめしの特徴。いわゆるエイジングを楽しめるというのが植物タンニンなめしの魅力のひとつ。
次に、強いということ。裏地をつけずにバッグを作れるのは植物タンニンなめしだから。同じ本革と書いてあっても、一生モノ、一生大事にできるというのはちょっと違うのだそうです。「見極めが難しいけれど、味の出方が全然違いますよ」と土平さん。
「今は2人で生産しているので、本当に大変で。大変だけれどそれを続けていくつもりではあります。それとは別に、工場と取り組んでやっていくものも少しずつ増やしていきたい」
それから、新しい挑戦をしているそうです。それはなんと豚革の新作。豚革というのはすごく傷が多く、植物タンニンなめしでも傷が残ってしまって使える部分が少ない、そういう素材なのだそうです。けれど実際目にしてみて、本来なら使われないような傷も土平さんは良いと思ったそう。「豚ってこういう風に生きているから仕方ないよね」と。だから逆手にとって傷がいっぱいついた豚の革の作品を出そうと考えているそうです。
これが世間からも良いという評価になれば、タンナーさんも喜んでくれる。とても楽しみにしてくれているそうです。傷は一般的には嫌われ捨てられてしまう部分。
「でも、そんな傷も良いと思ってくれる人が増えると良いなと思っています」
革の新たな魅力発見につながる予感がしますね。展示会で一足先に実物を拝見させていただきましたが、素朴であたたかみのあるすてきな作品でした。
アトリエは月に1度ショップとしてオープンしていますので、これを読んで興味を持った方は是非ホームページでオープン日を確認してみてください。シンプルで居心地の良い素敵な空間ですよ。
こちらは、2017年3月13日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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靴下の生産量1位を誇る奈良県、広陵町。実は古墳の多さも日本一という歴史のある町。そんな古墳に囲まれた、穏やかな土地に多くの靴下工場が集まっています。もともと、この辺りは江戸時代から綿作りや大和カスリの産地だったそう。今回紹介するヤマヤ株式会社も綿作り、木綿織りを生業としていた背景を持つ靴下工場です。
明治の開港とともに綿花の輸入が増え、また、機械性工場の導入により、国内での綿作りや木綿織りが急激に衰退していきました。そしてアメリカから手回しの靴下の機械が入ってきて、当初は東京で始まり、明治の後半には奈良で靴下づくりが行われるようになります。それでもまだまだ靴下は一般の人が履くものではなく、奈良県が靴下の産地になったのは戦後、一般の人が靴下を履くようになり、色々な機械が開発されるようになってからです。
戦後から昭和の終わりにかけての靴下づくりが盛んな頃、広陵町では、どの家庭でも何らかの形で靴下づくりに関わっていたそうです。それほどに靴下づくりが盛んな町。そういった背景があって、広陵町は靴下日本一の町と呼ばれています。
工場というのは注文をもらって、作ることに専念するというのが一般的であり、ヤマヤ株式会社もずっと大手アパレルメーカーの仕事を中心に行ってきました。
ところが、海外から安い製品が入ってくるようになり危機感を感じるように。このままでは国内で仕事がどんどん少なくなっていくと考え、野村社長は以前から構想していた自立した企業を目指して、自社ブランドを立ち上げることしました。
現在ではHoffmann(ホフマン)とORGANIC GARDEN(オーガニックガーデン)という2つのブランドを運営しているヤマヤ株式会社。
ORGANIC GARDEN(オーガニックガーデン)は地元の協同組合で、地元の繊維メーカーが将来的な危機感から1社で厳しい状況で問題を解決するよりは、何社か集まってやっていこうという目的意識を持った企業が集まって始まったブランド。その中で、平成の初めに“オーガニックコットン”の存在を知ります。
「オーガニックコットンは環境に配慮しているだけでなく、その商品というのは使ってみても非常に着心地とか履き心地が良いのです。自分たちで作りながらも体感しているけれど、お客さんからも非常にはき心地が良いと喜んでもらっているんですよ。」
「綿というのは今まで夏の素材だと思っていたけれど、オーガニックコットンを知って、冬は冬でも温かみがある素材だということを実感して、年間を通して非常に良い素材だということがわかってきました。オーガニックコットンとの出会いを通して、やはり素材というものはとても大事だなと感じています。」
これはただ単に環境面だけではなく、天然素材というのが一番肌に合う素材だと考えているそう。「本来の天然素材の良さというものをもっと知っていただきたい」そう野村社長は言います。色々な素材が研究開発されている中で、天然素材の良さというのは案外理解されていない部分があります。
「特に綿も農薬を使って、大量生産をし、そのあと化学的な染料を使うことで本来の良さというのが損なわれている。その中でオーガニックコットンを本当に自然に手間暇かけてじっくり育てて、自然に葉が枯れ落ちるまで十分成熟させてから収穫するという工程では、綿の特性というのがそのまま活かされているんです。その天然素材の本来の良さを理解して、知ってもらおうというものづくりを積極的に行っています」
その中で生まれ、注目されているのがこの“ガラボウソックス”です。
でこぼことした編み地、独特の風合いがどこかノスタルジックなこの靴下は、「ガラ紡」と呼ばれる明治時代に日本で開発され、現在では国内に数台しか残っていない紡績機を使って紡がれた糸を使用しています。素材はオーガニックコットン。伝統を貫いた物語とぬくもりのある靴下です。
ガラ紡というのは明治の臥雲辰致(がうん たっち)という人が考え出して完成させた、国産の紡績機械によって紡がれる糸のこと。ガラガラと音を立てながら紡いでいくので、ガラ紡という名前がついたのだそう。
その太さと、他とは違った風合いに惹かれて8年ほど前に作り始めたこの靴下。ただし、特殊な糸で太さも均一ではないので普通の機械ではなかなか編むことができないそう。やっと太い糸を扱える機械を見つけて作り始めても、扱いが難しく、紡績の方と相談して糸を作るところから工夫を重ねてやっと製品化することができたのだとか。
始めは特に大きな宣伝もせずに展示会に出してみたところ、なぜかガラボウソックスに注目が集まったそうです。従来にはない独特なその素材感からか、手に取ってもらうことが多かったとのこと。この素朴さが一番の魅力なのですね。
ガラボウソックスは経済産業省主導のThe Wonder 500にも選出された、注目の製品。ガラ紡は綿から直接糸になるため、まさにこの靴下は素材そのものと言ってもいいくらいです。作るのにはとても手間がかかりますが、伝統のガラ紡であり、しかもオーガニックコットンという素材であり、非常に物語を持った靴下ではないでしょうか。
続いて、工場を見学させていただきました。
手回しの編み機です。右下にあるハンドルを回すとくるくると靴下が編まれていきます。
たくさんの編み機が並んでいます。色々なサイズや柄に対応して、機械の種類も様々です。
靴下が編み上がる様子。こうして繋がって出てくるのですね。
次に、つま先部分を縫い合わせていきます。
最後に検品作業。
こうして実際靴下が作られている現場を目にすると、非常に多くの人の手が加わっていることに気付かされます。
「現代は物があふれている時代。まさに考え方を大きく転換してゆく必要がある。そして知恵を使って無益な競争が起こるような社会は避けたいと、本当に環境にとっても人にとっても良い素材を作り続けていくのが使命だと考えています」
靴下は私たちの生活に欠かせないと言ってもいい身近な衣類。大量生産され安く買えることも魅力のひとつですが、こうして物語を持ったお気に入りの一足を見つけてみるのはいかがでしょうか。
こちらは、2017年3月13日公開の記事を再編集して公開しました。記事は取材当時のものです。
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「チャリカ」とは、茶(Cha)とスペイン語で豊かさを意味するリカ(Rica)を掛け合わせた言葉。まるで雑貨屋さんのような響きのこのお店では、店主のミネオマイコさんによる、台湾の茶葉やハーブ、花やドライフルーツなども取り入れた、見た目も華やかで日常づかいもできる台湾茶に出会えます。
台湾茶や中国茶には長い歴史や作法があるので、ちょっと敷居が高いように感じている人も多いはず。けれども、「お茶の文化を学ぶことも大切ですが、まずは気軽に味わって楽しめるのがいちばんです!」と、ミネオさんは話します。
チャリカのお茶の淹れ方は、ブランドされた茶葉の入ったドリッパーをお気に入りのカップやポットにセットして、あとはお湯を注ぐだけ。緑茶や紅茶と同じような方法で、本格的な台湾茶を味わうことができます。
一煎目は香り高く、二煎目はコクが出て、三煎目はより深い味わいに、と長く味わえるのも台湾茶の魅力。もともとは漢方薬としても使われていた歴史があるので、胃腸や健康にもよく、香りのリラックス効果も感じられます。
「馴染みのある烏龍茶や香片(ジャスミン茶)のほか、私が台湾茶に興味を持つきっかけにもなった阿里山(アリサン)など、茶葉にも色々な種類があります。味や香り、効能もそれぞれ違うので、その日の気分で選ぶことができますよ」とミネオさん。
チャリカでは茶葉やドライフルーツの組み合わせによる“彩り”も大切にしています。「茶葉の種類もあまり知らないし、どれを選んだらいいかわからない」人は、直感で見た目が好きなものから選んでみるのもおすすめです。
「実は昔はコーヒー党で、お茶はほとんど飲まなかったんです」と話すミネオさん。もともとはパタンナー志望で、アパレル業界で働いていたそうです。
「就職氷河期と呼ばれる時代に、ファストファッションブランドに就職してからずっと激務で、常に何かに追われているような状態でした。それでも好きなファッションに携われる仕事にはやりがいを感じていたのですが、20代後半の頃、出張で中国の縫製工場を訪れたときに、さらに厳しい職場環境を目の当たりにして……」
それは、室温40〜50度にものぼる工房で、中学生くらいの女の子たちが何千枚ものニットの糸を機械にかけ続けている光景でした。
「私はずっと服が好きで、作るのも着るのも好きでしたが、当時の自分の暮らしや仕事が、その子たちの暮らしや仕事を土台にして成り立っているんだということを肌で感じて。それでも次から次へと新しい服をデザインしなければならない働き方にも疑問を持つようになったんです」
台湾茶と出会ったのは、そんな頃のことでした。
「出張先の台湾で、先輩が現地の人に教えてもらった茶藝館(ちゃげいかん=台湾のカフェのような場所)に案内してくれたんです。そこでいただいた阿里山金萱茶(アリサンキンセンチャ)というお茶が、これまでに飲んできたお茶とは全く違っていて、甘い花のような香りに一瞬で惹かれてしまいました」
それ以来、ライフスタイルや仕事について悩みながらも、仕事の合間に台湾茶の勉強を重ねていったミネオさん。逆境の中で心の底から沸き起こったのは、服が好きだという気持ち以上に、「台湾茶が好き。ずっと学んでいきたい」という気持ちでした。
「世界にはいろんなものがあるんですね。私は知らないものが目の前にあると“まず味見をしてみる”タイプなので、口にするものからどんどん世界が広がっていくのが楽しくて。私は服が好きで、ファッションの仕事も好きだったけれど、それだけに捉われていなくてもいいことを、台湾茶が教えてくれたような気がします。
「好き」から世界が広がっていった先に見えるものは、必ずしも綺麗なものばかりではないかもしれません。でも、自分の直感を信じていればまた新しい世界が開けていく。そんなことを教わったような気がします。
チャリカのお茶は、「花園(ファーユェン)〜Flower garden〜」「月光(ユエグァン)〜Moonlight〜」など、物語や楽曲のタイトルのような名前も素敵です。特に、台湾茶の中でも珍しいドライフルーツを組み合わせた「ドライフルーツブレンド茶」は、旬の果実の香りよく、贈り物にもぴったりです。
お湯を注ぐとゆっくり膨らみ、ふわっと花開くように見える台湾茶。そんなふうに、少しだけ豊かな時間を日常に取り入れてみませんか?
写真:つん[tsun]
記事は取材当時のものです。
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キラキラと輝く太平洋に沿うように、約11㎞にわたって続く黒松林とパームツリー。そんな自然に抱かれた中にある宮崎県の「フェニックス・シーガイア・リゾート」の中心が「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」。なんと“手紙を書くためだけの部屋”があるというのです。
雄大な太平洋の海岸線にひときわ目立つ、地上154mの高層タワーが印象的な「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」。
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全室オーシャンビューの客室は、宮崎の自然をコンセプトにしたマンゴーイエローやマリンブルーの客室がそろい、開放感がありとびっきりのリゾートライフを送れそうな予感。でも、今回のお目当ては世界唯一の“手紙を書くためだけの部屋”。
その秘密の“レタールーム”は、2階にある宿泊者専用の「風待ちテラス」の最奥端にあるとのことですが、この風待ちテラスも素敵。旅をテーマにセレクトされたさまざまな本がそろい、板張りの床に、さまざまなソファーやクッション、鳥かごのようなハンギングチェアが配されています。
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午後のひとときをまどろむには最高の空間。宿泊者なら自由に使うことができ、靴を脱いでくつろげるスペースもあって、リビングでくつろぐような心地好さです。
風待ちテラスの最奥端に隠れるようにあるのが、少し照明の落とされた「レタールーム」。手紙を書くためだけの秘密の部屋・・・ 飴色に輝く木の重厚さを感じる英国調の内装でまとめられ、静けさ漂う空気に包まれています。
レタールームコンシェルジュの山下さんがさりげなく迎え入れてくれ、この部屋のこと、手紙のことを優しく教えてくれます。
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木の机には、ポストカードや便せん、パーカーの万年筆・ボールペン、ファーバーカステルの色鉛筆、天然ゴムから作られたスタンプなどが用意されています。メールやSNSという便利なツールを毎日使っているからこそ、手紙を書くことが新鮮に映ります。
さぁ~、何を書こう・・・ 部屋には、英国のアンティーク家具をリメイクしたポストが置かれ、3つの投函口が設けられています。ひとつ目は「大切なひとへの手紙」、ふたつ目は「未来への手紙」、3つ目は「あてのない手紙」・・・
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「大切なひとへの手紙」へ投函すれば、切手代をホテルが負担してくれ、その想いを大事な人へ届けてくれます。特別な白い便せんを使って「未来への手紙」へ投函すれば、タイムカプセルのように最長20年間保管され、再訪したときにそのときの想いに出会えることが。「あてのない手紙」に投函すると、一定期間レタールームに飾られるとのこと。
3年半で約4万通もの手紙が綴られ、その中には亡きパートナーへ「もう一度あなたと来たかった」というメッセージや別れた恋人へ思いを綴ったもの、「大きくなったらパパとママとここに来たい」という子供の手紙など、切なさやはかなさ、温かみのある想いの詰まった“手紙”が。今、現在進行形で楽しんでいる宮崎の旅とともに、それを追体験できる時間旅行を楽しめるところが魅力的です。
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数年ぶりに手紙をしたためたら、温泉でもいかがでしょう。地下1000mから湧き出す湯は、太古の海の化石成分が溶け出したミネラル豊富な美人の湯。塩分が強いことからも海辺の湯ということがわかり、さらりとした肌触りで、いつまでもポカポカする心地好さ。
情緒ある日本家屋の庭先に露天風呂が設えられた、プライベート感たっぷりの貸切温泉「離れ湯」を楽しむこともできますが、その真骨頂といえるのが放送作家・小山薫堂氏が提唱する“湯道”を体現できる、日本初の湯室「おゆのみや」。
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漆黒の丸い露天風呂が設えられ、白木や漆喰をいかした厳かな日本家屋は茶室を思わすような雰囲気。湯道には、合掌から始まり、潤し水、湯合わせなど、9つの作法があるのだとか。湯桶や茶器なども、宮崎の工芸品や作家の作品が備えられ、浮世を忘れ湯を愉しむための極意が秘められています。
シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート
https://seagaia.co.jp/
【住所】宮崎県宮崎市山崎町浜山フェニックス・シーガイア・リゾート内
【料金】1泊朝食付き1名デラックスツイン1万3400円~
【CHECK IN/OUT】14:00/12:00
【客室数】736室
【アクセス】宮崎空港から車で20分
Photos:(C)tawawa
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記事は取材当時のものです。
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日本人の暮らしに馴染む、重くならない軽やかなノートが欲しい……そうして生まれた“竹綴じノート”は、日本の素材を使って手仕事で綴じられた美しいノートです。「KAKURA」がものづくりの軸に据えているのは、すっと伸びる竹に見られるような日本人の精神性。
「素材や造形から、人の行動や使い方は決まっていくと思うんです。手仕事を通して、暮らしを心地よいものにデザインしていけたら」と、代表の石原ゆかりさん。
デザインに活かされているのは、石原さんの日常の中での気づきや直感。KAKURAのシステム手帳は、「革の手帳はずっしりと重くなりがち。日常使いを軽やかにするにはどうしたらいいだろう」という発想から生まれた、一枚革でできた手帳です。開くと、綺麗に処理された裏革が見えるので、合皮との見た目の違いは一目瞭然。閉じるときにクルクルと革ひもを巻く動作も、「手帳を開くときに少しだけ心のゆとりが持てるように」とデザインされたものです。
KAKURAの“用の美”は、オフィスの机の中に散らばる小物の整理や、鍵やアクセサリーの入れ物にも使える「革のトレー」にも表れています。
「真ん中に×印の装飾縫いを施すことで、ここを目印にものを置こうという無意識のイメージが働きます。佇まいが座布団のようにも見えるので、日本の暮らしに馴染むんです」
美しい手仕事に触れると、「丁寧な仕事をしよう、丁寧に人と向き合おう」という気持ちが自然に整えられていく気がしますね。
紙、土、革へと素材の幅を広げ、“用のデザイン”を兼ね備えた手仕事のプロダクトを展開しているKAKURA。その工房兼お店は、大阪の北摂(ほくせつ)と呼ばれる地域の富田(とんだ)というまちにありました。
KAKURAのお店を尋ねると、「地元の人にもあまり知られていないけれど、富田は古くから続くたくさんの酒蔵がある街だったんですよ」と、石原さん。富田では江戸時代より24の酒蔵が営まれてきましたが、現在は2軒に。美味しい「富田酒」の味は今でも健在です。
石原さんが大好きだという竹に縁取られたお店に入ると、大きなテーブルで職人さんたちが手作業をしていました。そして、棚には暦年のプロダクト商品がずらり。
人気のバッグインバッグ、お客さんのリクエストから生まれたお札を数えやすいお財布や、高級万年筆を持ち運ぶペンケースをもとに作られた丈夫なメガネケースなど、一つ一つのエピソードに話が弾みます。
石原さんは工芸を学んでいたわけではなく、ものづくりは完全に独学なのだそう。
KAKURAを立ち上げるまで、企業内デザイナーを経て大阪の南森町でデザイン事務所を営んでいたそうです。仕事はグラフィックデザインが中心でしたが、竹綴じノートを作ってからは青山のスパイラルマーケットセレクションに出展したり、各地のミュージアムショップ、セレクトショップでコーナーを展開してもらいながら、手仕事の職人たちと協力して新たなプロダクトを展開させていきました。
富田に工房を構えたのは、「子どもと一緒に暮らす家のそばで働きたい」と思ったことがきっかけ。やがて、歴史深く文化が薫る富田の魅力に気がつき、311の震災後に立ち上がった『日本全国マチオモイ帖』という、クリエイター目線で地元を見つめ直す取り組みに参加します。
酒造りに適した湧き水や、神社やお寺、野鳥が飛来する池などの知られざる地元の風景を、当時10歳だった息子さんの絵を交えてつづり、竹綴じにした「とんだ帖」。自費出版で制作したその本をきっかけに、石原さんは富田のお祭りやイベントにもデザイナーとして声がかかるようになっていきました。
連綿と続く歴史があり、静かで暮らしやすい富田のまち。暮らしの中でインスピレーションを受けながら、新しいプロダクトを生み出している石原さんや、富田の工房でものづくりを手がけるスタッフたちとともに、ずっと使えるKAKURAの「万年カレンダー」のように、これからも時を刻んでいくことでしょう。
穏やかな秋田犬の竹遥(ちくよう)ちゃんもお店番しているKAKURAに、足を運んでみませんか?
記事は取材当時のものです。
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お湯を入れたら3分で出来上がるカップラーメン。みなさん一度は食べことがあるのではないでしょうか。そんなインスタントラーメンの生みの親は、「チキンラーメン」をつくった日清食品創業者の安藤百福。「カップヌードルミュージアム 横浜」には、世界初のインスタラーメンをつくった奥深~いおいしさと魅力が詰まっています。
アジアをはじめ、今や世界で食べられているインスタントラーメン。実はこのインスタントラーメンは日本発の商品。1958年に安藤百福が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」をつくったことに始まります。安藤百福は、NHK連続テレビ小説「まんぷく」のモデルにもなったのでご存知の方も多いのでは。
港・横浜に現れる、カップヌードルの具材“謎肉”を思わす立方体のような建物が印象的。エントランスを入ると真っ白な吹き抜けの空間に包まれ、無垢材の階段が2階へと伸びるさまは圧倒的なインパクト。
木肌の美しさが際立つ2階から見下ろせば、白壁がカップラーメンの器、無垢材がラーメンのように映り、カップヌードルの器の中にいるような感覚に!? “日清”にちなんでエントランスホールの高さは24m。インスタントラーメンひとつで気持ちをワクワクさせる、ちょっと不思議な空間が広がります。
その気持ちに応えるように現れるのが、視界を覆い尽くすインスタントラーメンのパッケージ。その数は約3000点。その種類の多さとカラフルなパッケージには驚くばかり。
1958年に発売された「チキンラーメン」を筆頭に、インスタントラーメンを世界に広めるきっかけになった、1971年誕生の「カップヌードル」、「どん兵衛」「U.F.O.」「ラ王」・・・ 見たことあるものばかり。
発売年代順に展示されているので、自分が生まれた年のインスタントラーメンを探すのも楽しいもの。その時代背景を映すようなパッケージデザインも興味深いところです。
NHK連続テレビ小説「まんぷく」にも登場した、「チキンラーメン」開発の原点となった研究小屋も忠実に再現されています。
全長58mの真っ白な壁面を使用した「安藤百福ヒストリー」では、インスタントラーメンの開発秘話や歴史などと合わせて、特別な設備がなくても、そのアイデアで困難を突破してきた安藤百福の発想力や創造力のエッセンスを垣間見ることも。「味に国境はない」など、力強い名言が残されています。
インスタントラーメンをエンターテインメントに昇華させる演出が秀逸なのですが、カップをデザインし、4種類のスープ(1つ選択)や12種類のトッピング具材(4つ選択)を選んで、世界にひとつだけのオリジナルカップヌードルが作れる「マイカップヌードルファクトリー」300円や、チキンラーメンを小麦からこねて手作りすることができる「チキンラーメンファクトリー」500円など、実際にインスタントラーメンに触れることができる、体験型ミュージアムの要素があるところもおもしろい。
「カップヌードル」のスープや具材を使った「カップヌードル ソフトクリーム」300円など、ここでしか味わうことのできない特別な味も用意されています。
Photos (C)tawawa
◆カップヌードルミュージアム 横浜◆
http://www.cupnoodles-museum.jp/ja/yokohama/
【住所】神奈川県横浜市中区新港2-3-4
【営業時間】10:00~18:00(入館は17:00まで)
【定休日】火曜(祝日の場合は翌日)
【料金】入館料500円(高校生以下は無料)(各アトラクションは有料)(4月より料金改定予定)
【アクセス】みなとみらい線「みなとみらい駅」5番出口より徒歩8分
記事は取材当時のものです。
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ガトー梅干しショコラ、ガトーいちじくグリーンカレー、たけのこの山椒抹茶ケーキ、グリンピースあんココナッツ饅頭……などなど、そのときの旬の素材を組み合わせた料理のようなお菓子たち。野菜を使った焼き菓子は最近ではあまり珍しくないけれど、「TSUCURITE(つくりて)」のお菓子には、見たことのない素材の組み合わせがもりだくさん。実はそのベースには世界の食文化が見え隠れしており、驚きや発見とともに私たちの世界を広げてくれます。
国分寺駅から徒歩5分にある、古民家を改装した「TSUCURITE国分寺店」は、店主の會田由衣(あいだ・ゆい)さんの祖父母が暮らしていたお家だったそう。TSUCURITEは東京の国分寺と神奈川の厚木にお店を構えており、平日に厚木店のキッチンでお菓子を製造、金〜日の週末に2つのお店を開けているそうです。
店主の會田さんは、大学は建築学科を卒業し、もともとは広告会社で働いていたそう。「“鬼子母神の手創り市”に出たい」と思ったことが、お菓子屋を始めたきっかけでした。
念願の鬼子母神の手創り市に出店を果たしてから、TSUCURITEは全国のマルシェやイベントへと活動の幅を広げていきました。マルシェの出店にも慣れてきた頃、「海外のマルシェってどんなものなんだろう」と調べていると台湾のマルシェが目に入り、たまたま出店している日本人のブログが見つかったので、會田さんはすぐさまコンタクトを取りました。
「もともと、外国へ旅に出て、知らない料理を食べるのが好きでした。言葉なんか通じなくても、同じテーブルで料理を囲むだけで、おいしいね、楽しいね、と現地の人とコミュニケーションが取れるし、知らない料理や食材との出会いから世界が広がっていくのが嬉しくて」
2014年、台湾のイベントに初出店。台湾ではトマトが果物売り場に並び、まるでイチゴのようにお菓子づくりに活用されているそう。台湾での出会いがつながり、2017年にはカナダで開催される「Taiwan fest.」にfood painterとして招待されました。カナダでは、お菓子はアート作品、その作り手はアーティストとして扱われているそうです。
會田さんは、カナダで2ヶ月間現地スタッフと共に生活し、現地のスーパーやマーケットで食材に触れながらインスピレーションを膨らませて、本番では“お菓子で自然を表現する”デモンストレーションを手がけました。
海外のマーケットで様々な食材に触れ、人々と交流し、共同生活をしながら現地の文化を吸収し……知らなかった食文化や素材の使われ方に触れることで、お菓子の表現もさらに自由なものになっていきました。
そんなTSUCURITEのお菓子は、一見素朴で可愛らしいけれど、素材の組み合わせに驚かされます。ころんとしたマカロンのような3色のチョコサンドビスに使われているものは、なんとお花。
チョコサンドビスには、お花(マリーゴールドココア、マローブルー、ラベンダー抹茶)と、お野菜(ココナッツたけのこ、玉ねぎココア、梅抹茶)の2種類があり、お花や野菜の濃厚な香りに甘いチョコレートがほどけます。
台湾で「月餅(げっぺい)」の焼き型と出会ってから作り始めた「ムーンケーキ」は、かぼちゃ、スイートポテト、梅干しの3種類。おめでたい日の贈り物にするのが本場流です。
TSUCURITEでは、野菜や果物をパウダー状にしたものではなく、地元の農家さんのとれたての作物を使ってお菓子作りをしています。同じ野菜でも、農家さんによって味が違ったり、時期によって水分量も変わったりするので、「いつでも全く同じ味」というわけにはいかないそう。けれども、素材の持つ個性も含め、作り手の味をそのまま引き出すことが「TSUCURITEにしかできないこと」だと、會田さんは考えています。
海外でのイベント出店にも慣れてきた頃、會田さんは「ひとつの街に根ざして、お店を構えてみたい」と思うようになりました。
「厚木に家を建てることになり、その一階を店舗にしようと準備していましたが、工期が大幅に押してしまって。国分寺の祖父母の家が空くことになったのはそんなタイミングでした。空き家になるくらいならお店にしようと思って、今、2つの場所でお店を開いています」
金・土・日の週末だけ開く2つのお店は、台湾茶と健康茶のセレクトを手がける「chaRica(チャリカ)」のミネオマイコさんや、會田さんのお母さんや叔母さんが手伝っているそうです。
「“これはなんだろう”というような、インパクトのあるものから売れていくイベントとは違って、お店に来るお客さんは暮らしになじむお菓子を求めることが多いんです。なので、お店では棚を「Gift」と「Daily」に分けています」
「Dairy」の棚に並ぶのは、まちのパン屋さんのようにほっとするお菓子。旬の素材を使うので、その週にしか並ばないものもあり、楽しみにしている常連さんもいます。
會田さんの愛猫がモチーフのぐるぐるクッキー「つんつんのしっぽ」は、子どもに大人気。小さい子の手のひらほどの大きさがあり、食べ応えたっぷり!
「まちのお菓子屋さんは大変なことも多いけど楽しいですよ。次は、このまちに根ざしたマルシェを立ち上げようかな」と會田さん。ときには海外でお菓子づくりの可能性を広げながら、地元の食材や人との出会いを大切に、TSUCURITEの世界はどんどん広がり続けています。
記事は取材当時のものです。
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リノベーションされた一軒家の2階に上がると、織り物や編み物などの手仕事に使う糸や道具がずらり。窓辺には「訪れる人が自分の作業を持ち込めるように」と、飲み物付きで1時間500円のワークスペースも備えています。手仕事の時間はものを作るためだけでなく、自分の心と向き合うための時間でもあります。初心者でも、不器用でも、手仕事を始めてみたくなる、作り手のためのお店「Found & Made」を訪れてみませんか。
ここで最初に出会えるのは、フィンランドやスウェーデンなどの民族衣装でも使われている伝統工芸「バンド織り」。バンド織りの主な技法のひとつは「平織り」という最もベーシックな織り方で、日本の「真田紐」も同じ手法で作られています。タテ糸とヨコ糸が織りなすシンプルな織り物だからこそ、もくもくと手を動かすのに向いているのかもしれません。糸の素材感や彩りがそのままデザインに現れるのも、素朴で可愛らしいですね。
「Found & Made」では、子どもから大人までが挑戦しやすいバンド織りをはじめ、さまざまな織り物・編み物に挑戦できる教室やワークショップで、気軽に手仕事を始められるきっかけを作っています。
「私がバンド織りに出会ったのは、スウェーデンの手工芸学校のサマースクールでした。はじめは“裂き織り”という技法を学びに行ったのですが、気がつくとバンド織りにハマっていたんです。夏のスウェーデンは日の沈まない白夜で、時間を忘れて、いろんな国の人たちと話をしながら、手仕事の世界に没頭していきました」と、店主の佐野麻子さん。
佐野さんは学生時代にテキスタイルを学び、卒業後に就職したものの、「その人やその空間に本当に合うものを、オーダーメイドで作りたい」「大量生産されるものではない、ずっと残る手仕事を続けていきたい」という思いを持っていました。そして、スウェーデンでの体験が転機となり、2017年春にお店をオープン。「バンド織りをたくさんの人に知ってもらいたい」という気持ちがどんどん強まっているそう。
「Found & Made」では、アマチュアからプロまで使いやすい本格的な道具を取り揃えています。イギリスの洋裁道具ブランド『Merchant & Mills』の洋裁バサミや、日本ではここでしか手に入らないスウェーデンの糸メーカー『GarnhusetIKinna』の糸、日本の作り手『saredo(されど)』の糸なども。絶妙な色味を持った糸玉を眺めているだけで、「これを使って手を動かしてみたい」という創作意欲が湧いてくるようです。一緒に輸入雑貨や古道具も並んでおり、より手仕事を自分のライフスタイルのそばに感じさせてくれます。
「いろんな人に手仕事に触れてもらいたい」という思いを持つ佐野さんは、お店では販売や自身の創作よりも、教室やワークショップをメインで行っています。初心者の人におすすめの教室は、1日で織り終わる「Weaving Share」。もう少し本格的に学びたい人には、月に1日、全3回をかけて手織りを学ぶ「Short Corse」。自宅で、自分のペースで没頭できるのも織り物や編み物のよさですが、誰かとおしゃべりしながら手を動かしたい人、自宅にはなかなか置けない足踏み織り機を使ってみたい方は、教室に参加してみるのもおすすめです。
佐野さんは、季節に合わせた様々な手織りのワークショップも用意しています。木の幹に釘を打ち付けたものや、枝を織り機に見立てるなど、楽しい工夫やアイデアを加えられるのも織り物の魅力。バンド織をはじめとするベーシックな織り物は、糸の種類によっても全く違った風合いを見せるのが面白いですね。
しんと静かな冬ごもりや、ぽっかり時間があいたとき、逆にささくれた心を落ち着けたいときこそ、手元に集中して指先を動かせば、まるでタテ糸とヨコ糸のように気持ちが整理されていきます。
さあ、スマホの電源を落として、手仕事をはじめてみませんか?
記事は取材当時のものです。
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