気仙沼湾をのぞむ「風待ち」の老舗米店がはじめた、可愛いおこわ屋さん

 

気仙沼湾をのぞむ内湾地区は、帆船の時代から「風を待って帆を張る」という意味をもつ「風待ち−かざまち−」とも呼ばれています。2011年3月11日に大きな津波被害を受けたこのまちには、かつては文化が薫る和洋折衷の建物が並び、モダンな街並みを形作っていたそうです。明治10年創業の老舗米店『武山米店』も、文化財に指定された建物のひとつ。いま、新たな街並みが再建されつつあるこのまちに、新しい風が吹き抜けようとしています。

 

 

小さなかわいい湾を囲うようにして広がっている気仙沼内湾地区。ここにしかないこの風景、そして、さっぱりと気のいい人たちが暮らすこのまちに惹かれて、震災前から通い続けている人も多いそう。

 

復興の様子が注目されている気仙沼内湾地区は、2011年の震災の前にも、大正・昭和の二度の大火を乗り越えた歴史を持っています。津波被害による瓦礫を数年かけて取り除き、地盤の整備を行い、何もなくなった土地に少しずつ街並みが生まれはじめています。

 

 

気仙沼駅から海までの道すがらにたたずむ武山米店には、観光に訪れた人が「海はもうすぐ見えますか?」と立ち寄る、ちょっとした観光案内所のような役割も持っていたそう。

 

津波で一階部分が流されてしまいましたが、流されず残された当時の意匠を生かして、2018年4月に同じ場所に再建。そして同年6月、武山米店の一角に「おこわ部」が生まれました。

 

 

おこわ部が活動するのは、武山米店と蔵の間に新しく生まれた、無垢の木に囲まれた明るいスペース。

 

お昼の10時頃になると、おこわやおかずがずらりと並びます。近所で働く人、暮らす人の足取りは絶えず、14時頃にはほとんどなくなってしまうほどの盛況ぶりです。

 

 

気仙沼の人たちは、おこわを「おふかし」と呼ぶそう。「おこわって言われてもわからないべ」と言われることもあるとか。

 

おこわ部の中心は、武山米店の奥さん、武山せい子さんと、管理栄養士でもある娘さんの陽子さん。お話を伺うと、おこわが気仙沼のソウルフードのような存在であることが伝わってきました。

 

 

「昔からお米の中でも餅米は特に高級品。なので、この辺ではハレの日におこわを炊く風習がありました。集まってくれたお客さんや親戚の皆さんに振る舞うんです」

 

「津波があって、ほとんどの家のふかし器は流されてしまいました。新調するのも億劫になって、震災以降ずっとおこわを作っていないという年配の方も多くて。それなら、みんなで親しんできたおこわを、みんなで食べられる場所を作ろうと思ったんです」

 

懐かしいね、と喜ぶ声もよくいただくそう。来客に合わせて数十人分の予約をしていく地元の人も多いのだとか。

 

 

色とりどりのおこわは、全部で4種類。

 

お赤飯、五目、牛ごぼう、あと1つは旬のもので、気仙沼の桜が満開のこの日は、桜の形のにんじんをあしらったおこわが並びました。

 

おかずは、せい子さんの得意料理のしゅうまい、春巻き、和えものなど。それに汁物をつけて、イートインスペースでいただくこともできます。素材を活かした優しい味付けは、地元のおじいちゃん、おばあちゃんへの心遣いから。

 

 

「震災で学んだことは、あまり先々のことを考えすぎないこと、流れに身をまかせること。そして、明日のために生きていくこと。おこわ部もこれから無理なく長く続けて、ここに人が行き交う場所を作っていけたら」と、陽子さんは話します。

 

 

武山米店の内部を解放している土曜日は、見学に訪れるお客さんも多いそう。「せっかく来てくれたお客さんに何か振る舞いたいね」と話していたところ、おこわ部を手伝ってくれている遠藤さんの手作りのお菓子がとても美味しかったことから、毎週土曜日にはお菓子屋さん『かもしか堂』をオープンすることに。

 

 

『かもしか堂』の名前の由来を尋ねると、「気仙沼の山あいにカモシカが暮らしているんです」とのこと。なんと、内湾地区までひょっこり降りてくることもあるそう。おやつを食べていたら、ひょっとしたら偶然カモシカに出会える……なんてこともあるかもしれません。

 

 

小さな可愛い湾をのぞむまち、気仙沼「風待ち」。

 

平日には武山米店のおこわ部でランチタイム、土曜日にはコーヒーとお菓子をいただきながら、気仙沼に吹く新しい風を感じてみませんか?

 

 

記事は取材当時のものです。